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電気通信大学 学園だより 第 188 号 (2002) 無断で引用を禁ずる。

ぼかしとナノチューブ

電子工学科・助教授 齋藤 理一郎


みずとだんご虫のいる庭

庭づくりにかかせないことは、良い土を作る ことだ。単に植物がのびのびと成長するだけ でなく、みみずやだんご虫(触ると丸くなる 虫)がいてトカゲが走りまわる環境が良い。 三年前から土曜日の午後に狭い庭のあちこち に穴を掘っては『ぼかし』肥料を埋めている。 生ごみを発酵させて作った有機物(『ぼかし』 肥料)は虫の餌となり,糞が理想的な肥料に なるのだ。『ぼかし』肥料の効果は絶大で、 昼過ぎになってようやく日のあたる条件の悪 い自宅の庭でも輝かしいばかりの花や立派な 杏や柚子の果実ができる。

ボカシクサイ

生ごみを直接埋めるのは寄生虫や蝿の卵がか えるので良くない。しかし生ごみを一週間密 閉すると酸素のないところで育つ嫌気性細菌 (EM菌)が繁殖し酸をつくるので蝿などの卵が 死滅する。漬物やキムチと同じ手法(乳酸菌) である。もっともできた『ぼかし』肥料はや はり臭い。下の娘が二才のとき最初に覚えた 言葉が『ボカシクサイ』だった。地中のぼか し肥料はアルカリ性にもどり、みみずやだん ご虫などの好物になっているようだ。


ぼかし肥料で柚子がたくさん結実

ミミズとナノチューブ

大学での研究は、ぼかしでも生態系でもない。 ナノチューブという小さな筒状の物質だ。鉛 筆の芯やダイヤモンドと同じ炭素でできてい る。ミミズのように細長い。広い土の中にい るミミズのように、ナノチューブは我々の世 界と比べると、本当に小さい物質である。多 くの人にとって日常関心のないミミズが生態 系では重要であるように、ナノチューブは日 常とは縁の無い物質であるが重要だ。当事者 が役に立つと確信を持っている点は『ぼかし』 と同じである。科学とは『存在を発見し重要 性を指摘すること』であろう。ミミズもナノ チューブも役割をみいだせば、なかなかおも しろい。ミミズとナノチューブを毎週見てい ると数多くの発見がある。『たで食う虫も好 き好き』とは良くいったものだ。魅力とは日 常からかけ離れているほど大きいようである。

単に小さいといっても

単に小さいといっても実感がなく説明もしに くい。ナノチューブの直径は1nm(ナノメーター, 1mの10億分の1)だ。直径12,000kmの地球を直 径6mmのだんご虫の大きさの比が10億対2であ る。だんご虫が何億年生きてきたか知らない が、地球の大きさと比較されたことはないに 違いない。光の波長(1μm, ミクロン 100万 分の1m)よりもさらに1000倍小さいので光学 顕微鏡では全く見えない。普通の電子顕微鏡 でもだめ。特別に性能の良い電子顕微鏡なら 見える。1cm x 1 cm の大きさに1本ナノチュー ブを探そうと言うことは、調布市内で幅2mm のミミズ1匹を探すようなものである。実際 にはいっぱいあるので根気と経験さえあれば 見ることは容易だ。


ナノチューブの構造

燃料電池自動車にはナノチューブ

この小さいナノチューブが何の役に立つのか? という質問にお答えしよう。ナノチューブは 水素ガスを吸着する。穴が沢山あいている炭 (活性炭)は浄水器や脱臭剤でお馴染。ナノチュー ブは理想的な活性炭なのだ。水素ガスをボン ベに100気圧で閉じ込めるよりも、同じ圧力・ 体積で10倍水素を吸着可能だ。吸着した水素 と空気中の酸素と反応させて電気をおこすの が燃料電池。起した電気で車を動かすのが燃 料電池自動車である。ハイブリッド車に続く 実用車として注目を集め、ホンダやトヨタは、 2001年にこの燃料電池自動車を日本の公道で 走らせている。時速140kmでるそうだ。ナノ チューブを使うと現状の航続距離300kmより 10倍に伸びる。ナノチューブは市販車には必 須なのだ。燃料電池もナノチューブで作るこ とができる。2001年10月にNEC がアルコール 原料にするナノチューブ燃料電池を発表。そ のほかにもリチウムイオン電池(1000mAh/g) や電子をため込む『スーパキャパシター』 (170F/g)もナノチューブで可能だ。あげた数 値を見せれば電池屋は腰を抜かすはずだ。MD や車のモータの始動時の大電流の供給に『スー パキャパシター』はかかせない。ナノチュー ブエネルギー革命を起したのだ。

ナノチューブで壁掛けテレビ

電池だけでない。ナノチューブの先が細いこ とを利用して、ナノチューブの先端から10V 程度の電圧で電子を放出(電界放出)可能。テ レビのブラウン管と同じ蛍光体を20Vの電圧 で光らせた。消費電力は蛍光体を光らせるだ けに使われる。効率が非常に良いので,電球 や蛍光灯代りという提案もある。既に韓国の サムソンが2001年10月にナノチューブで壁掛 けテレビを作った。この目で見てきた限りこ れはまぎれもない普通のテレビだ。サムソン の目標は、42インチで消費電力50W、1インチ あたり2000円程度の製品。20インチのTVなら 4 万円で10Wぐらいの消費電力になる,厚さ は 1cmもあれば十分であろう。彼らの技術進 歩は著しく、1,2年で製品がでると思われる。 ディスプレイの世界は競争が激しいが『ブラ ウン管と同じ仕組み』という強みと驚異的な 性能の良さが電気業界に衝撃を走らせた。


本命はこれ,ナノチューブで半導体回路

最も究極な応用が,一本のナノチューブをト ランジスターとして使う半導体回路である。 著者は1991年にNECの飯島澄男氏(電通大出身!) がナノチューブを発見した当初に,ナノチュー ブが金属にも半導体にもなる理論的な予想を した。それが 7年後に実証されると直ちに半 導体チューブを使ったトランジスタが、2001 年11月にはフリップフロップ回路(SRAM)が作 られた。回路自体は電気回路の授業と同じだ が,回路の線幅を1nmで実現できたのが半導 体の技術目標を大きく切りひらいた。ICの集 積度は単純に計算しても現在の10,000 倍に はできる。10TB(テラバイト)のメモリーも夢 ではない。技術競争はし烈を極めている。

21世紀のゴールドラッシュ

この他にも,ナノチューブを微少ロボットの 筋肉に使うとか,特殊な化学反応室に使うと か実に多岐の応用が提案され,驚くべきこと にほとんどが実現している。産学問わずナノ チューブの応用に向けて技術競争,研究競争 がなされる現状は21世紀のゴールドラッシュ である。ナノチューブはナノテクノロジーと 呼ばれる一連の動きの本流にある。著者のよ うな理論ののなすべきことは技術の可能性を 示すことであり、ナノテクノロジーの場合見 えないだけに理論の手助けは重要である。理 論に触発され実現することは愉快である。成 果を信じ理論を発表することと、華麗な花を 信じ『ぼかし』を埋めることは同じであろう。 論文は科学の『ぼかし』肥料なのだ。一見単 純な繰り返しのような作業ではあるが,これ が飛躍的な進歩の最短の道と確信する。

終りに

秋の日だまりで『ぼかし』を埋める手を休めて こう考えた。50 年前にはシリコンバレーはな かった。30 年前は電卓が,20 年前はパソコン がなかった。15 年前はインターネットがなかっ た。10年前にはナノチューブがなかった。では 10年後はいったいどうなっているのだろうか。 庭のだんご虫やミミズは『ぼかし』を音もなく 食べているだけである。私も『ぼかし』を埋め 続けるだけである。



齋藤 理一郎
Riichiro Saito, Dept. of Elec. Eng. Univ. of Elec. Commun., Tokyo 182-8585,
rsaito@ee.uec.ac.jp, http://flex.ee.uec.ac.jp