『科学』 (岩波書店) Vol. 68 (1998) pp.661-669. 許可なく引用できません。

カーボンナノチューブ

齋藤 理一郎(電気通信大学・電子工学科)


1. 蜘蛛の糸 -- 最強の sp2 結合の糸 ---

芥川龍之介の小説に『蜘蛛の糸』がある。極悪非道の悪人がその罪 業で地獄に落ちる。しかし悪人は生前に蜘蛛を救ったことがあり、 お釈迦様は悪人を蜘蛛の糸で浄土に導く。蜘蛛の糸をおおかた登っ た悪人が振り返り見ると、下から多くの者が登って来るではないか。 他の者を牽制した刹那、いままで切れなかった糸がぷつりと切れ、 皆再び地獄に落ちてしまう、というお話しである。

小さい頃その物語を読み、何人もの人がぶら下がっても切れな い糸とは不思議だと子供心に思ったものだ。しかし今の世ならカー ボンナノチューブなら不可能でない。蜘蛛の糸ぐらいの太さ(1 ミ クロン =1/1000 mm) もあれば、相当の数の人間は持ち上げられる。 弾性定数が 1012Pa 程度あるので、1mm2 の断面積では 10t のものが持ち上げられる計算になる。 1mm2 の糸の重さは、長さ 1km でも 1kg 以下だ。

この世の中で最強の結合は炭素原子間のsp2結合だ、といったのは ポーリングである。一般にs軌道1個とp軌道n個が混成して作る結合 をspn結合という。炭素のsp2結合は、2s軌道と2p軌道2個の混成軌 道だ。ナノチューブは炭素のsp2結合だけなので最強の糸なのだ。

自然界で最も硬いダイヤモンドも炭素だ。ところがダイヤモンドの 炭素結合はsp2結合ではなくsp3結合である。一本の結合だけ考えれ ば、一つの炭素原子の手が4 本の sp3 結合より、手が3本のsp2 結 合、さらに手が2本のsp 結合の方が強い。しかし手が3本だと平面 構造だけ、また手が2本だと直線構造だけしかできない。3次元のダ イヤモンド構造は、sp3結合でしか不可能いのだ。sp2結合だけで立 体構造は作れるか? それはパズルのような疑問だった。

炭素のsp2 結合でできる物質は、六角形の模様である六方格子面が 重なる黒鉛(グラファイト)だ。六方格子面内はsp2結合でダイヤモ ンドのsp3結合より強い。しかし2つの面間の結合は非常に弱いので、 黒鉛は海苔を1枚1枚重ねたような『層状構造』をとる。 したがっ て層を滑べらす方向に力を加えると、トランプのカードを滑べらす ように簡単にずれる。この性質を利用したのが鉛筆だ。鉛筆の芯の 主成分は黒鉛で、層がずれることで字が書ける。

一方黒鉛の面内のsp2結合を利用したものが、炭素繊維(カーボンファ イバー)だ。炭素繊維は、黒鉛の層が木の年輪のように同心円筒状 に重なった構造だ。ナノチューブの親分にあたる。層同士がずれな いように繊維を絡ませ樹脂等で固めると、剛性と柔軟性を兼ね備え た素材になり、つりざおやテニスラケットに使われている。もし炭 素繊維を年輪のような多層でなく1層にすれば、層がずれようがな い。炭素繊維の最内側の芯、それがナノチューブなのだ。

余談だが sp 結合は 3 重結合で単独の結合としては最強だ。しか し炭素は手が4本しか無いので、sp 結合で直線的な構造を作るため には3重結合と1重結合を交互につながねばならない。従って 1 重 結合の処が手薄。したがってsp 結合の直鎖は黒鉛に比べ強度が小 さい。では2 重結合をつなげた直線構造はどうか? という想像した 方は聰明である。この物質はケルビンと呼ばれる物質だが、合成が 容易でない。結局、常温常圧で安定な黒鉛の sp2 結合が最強とい うポーリングの結論を得る。蜘蛛の糸のような生物繊維や人工の繊 維は, sp2sp3 の炭素骨格だ。カーボンナノチューブは炭素繊 維の強度を抽出したsp2 結合だけでできた『蜘蛛の糸』なのだ。

2. カーボンナノチューブの発見

私の子どもの頃は海苔といえば贅沢なもので、行楽の弁当ぐらいに しか御目にかかることがなかった。遠足でおにぎりや海苔巻きの弁 当を楽しみにしたものだ。前節で黒鉛が海苔のような層状構造をと ると述べた。海苔からおにぎりや海苔巻きを発明した人がいるよう に、層状の黒鉛から丸い形や円筒形の形を想像した人達がいた。

想像は科学を生み、理論は想像を現実に導く。 sp2 結合で球形の分子があっても良いと主張し たのは、大澤映二先生(現豊橋技術科学大)である。1970年に日本語 で書かれた理論の論文は、当時はあまり注目されなかった。15年後 の1985 年に米国のライス大学のスモーリー教授らは、レーザ蒸発 法で得られた炭素クラスターの質量分析を行ない、C60 というサッカーボール型の分子があると発表した。その後の研究で、 炭素電極間に放電を起こし大量生成したすすの中にベンゼン溶液に 赤く溶ける物質が C60 であることを他の多くの研究者 によって追認した。ここで大澤先生の理論が脚光をあびることにな る。ベンゼン以来の大発見とされるこの分子はやがてフラーレンと 呼ばれ、無数の結晶や化合物を創造した。その功績で1985年の論文 の著者3人に1996年のノーベル化学賞が与えられた。

一方フラーレンの研究の盛んだった1991年にチューブの構造を理論 的に提案したのは、ドレッセルハウス教授夫妻(現マサチューセッ ツ工科大学)である。御夫婦で仕事をするので、どちらが最初にいっ たかは定かではない。1991 年の夏のフィラデルフィアの研究会で、 C60を半分に割った切口にグラファイト1 層を巻いたチューブを発 表したのは奥様のミリー教授。この理論にすぐ反応したのが、飯島 澄男博士(NEC 基礎研究所)であった。卓越した電子顕微鏡の技 術は既に原子を見る世界に届こうとしていた。電子顕微鏡写真には 直径 2 nm ( 1nm = 10 億分の1 m)のナノチューブが写っているこ とを見逃さなかった。発見とは実際にあるものを見逃さないことで ある。この報告が1991年に発表され研究に火がつくことになる。

3. カーボンナノチューブの設計図

ご主人のジーン教授は、 C60を半分に切る方法として 3 つあると提 案した。その切口の形状から3 つのナノチューブに、(a) アームチェ ア型 (肘掛椅子型) (b) ジグザグ型 (ぎざぎざ型) (c)カイラル型 (螺旋型) と名付けた。アームチェア型とジグザグ型はチューブ軸 を通る鏡の対称性を持つ場合で、カイラル型は螺旋の対称性を持つ。 直後に筆者と藤田光孝助教授(筑波大)は在外研究でMIT での研究に 参加し、ナノチューブを六方格子の中で一般的に設計図を作る方法 を見出した。この設計図の作り方を図1で説明しよう。

図1は黒鉛の六方格子だ。点OとAを結ぶベクトルChを考え O と A が重なるように巻く。海苔巻きの要領である。巻くと直線OAは、円 筒面の赤道になる。また点Oを通りOAに垂直に線を引き、最初の六 方格子点をBとする。OB の方向はチューブの軸に平行で、軸方向の 並進ベクトルである。さらにA から同様に垂線を引き点にぶつかる ところをB'とする。OBB'Aは長方形であり、巻くときにはOBとAB'が 重なるようにすれば良い。

図1を写し長方形 OBB'A で切って巻いてみればわかるのだが、六方 格子の模様はきれいにつながる。OBと六方格子との多くの交点は、 AB'と六方格子との交点に1対1に対応する。等価な点OとAからでた 平行線だから、交点も同じ位置になるからだ。従って螺旋に巻いて も六角形の形が歪むことは無い。重要な結論だ。一般に、紙はどん な方向にでも円筒形に丸められる。図1の紙には六方格子の模様が ある。上の結論は模様をきれいにつなぐ方向が無数にあることを示 す。結果として任意の螺旋のチューブができる。これがチューブの 構造の原理である。ナノチューブは、設計図の OA (Ch) のベクト ルで 1 意に表される。

筆者が構造に関してジーン教授と議論した時のやりとりが忘れられ ない。ジーン教授『...では、チューブの構造をいったい何によっ て決めるのか? 』、筆者『一つのベクトルです』。この議論で我々 はチューブの構造が理解できたと感じた。そしてベクトルChを螺旋 度を決めるベクトル、カイラルベクトルと名付けたのだ。

注意深い読者の中には、図1のOBの線上でBの手前に別の点とぶつかっ ているではないかと疑問を抱く方もいるかも知れない。だがこの点 は格子点ではない。もしそうだったら、2 倍の距離進んだ所で再び 格子点にぶつからなければならないが、そうなっていない。六方格 子の最小単位(単位胞)は2つの原子(点)が必要である。図1の場合水 平な辺の右側と左側の点が単位胞の2つの原子だ。実際2つの原子の 結合の手の方向は互いに異なるので、並進移動では重ならない。こ れに対し正方格子の場合は全て点が等価で、単位胞には1個の原子 で良い。図 1のO,A,B,B'の各点は、 2種類の原子のうち左側の方で ある。この点で六方格子の格子点を代表しよう。格子上の六角形は 2つの基本格子ベクトル a1, a2 (図1右下)の並進移動で表される。 2 つの格子点を結ぶカイラルベクトル Cha1, a2を用いて

Ch =n a1 + m a2 ≡ (n,m),  (n,m は整数)

と2つの整数で表される。ちなみに図1の Chは(4,2)である。チューブの半径はカ イラルベクトル Ch の長さを2πで割れ ば良い。一方 OB のベクトル Ta1, a2で表 される。数学に強い人は試して頂きたいが、 ChT = 0 の条件から

T = (2m+n)/dR a1 - (2n+m)/ dRa2 ≡ (2m+n, -2n-m)/dR

である。ここでdR(2m+n)と(2n+m)の最大公 約数。さらに図1で六角形のジグザグする方向からの角度をθとお くと、任意の nm から決まる螺旋角のチューブ ができる。構造に関連する公式や立体構造に興味のある読者は参考 文献を参照すると良い。

螺旋度と半径を一意に指定できる Ch=(n,m)はチューブの名前に対応する。 上に述べたアームチェア型は(n,n)の場合(n=m)で、 ジグザグ型は(n,0)の場合(m=0)だ。螺旋角θはそれ ぞれ0度,30度である。覚えると便利だ。その間の任意のθのチュー ブがカイラル型(n,m)になる。図 2に (a) (5,5) の アームチェア 型, (b) (9,0)のジグザグ型、(c) に (10,5) のカイラル型のチュー ブを図示した。チューブの軸に対し六角形の方向つまり螺旋の様子 が見える。図では端の部分に(a), (b) には C60 の 半球をまた (c) には C140の半球をつけた。片方は切口の形状がわかるように 少し半球を離して描いた。名前の由来はそこの切口だ。この螺旋構 造を直接実験で直接見たのは1997年のことである。チューブに結晶 構造の異なる物質群が存在すること自体興味あることだ。しかしナ ノチューブはそれだけではない。螺旋度を変えるだけで金属にも半 導体にもなるというのだ。

4. ナノチューブは 1/3 が 金属で 2/3 が 半導体

話は、再び 1992 年の10月に遡る。MITに到着した筆者らは直ちに、 設計図を作り電子状態を計算した。既に海軍研究所のミントマイヤー 博士らがナノチューブは金属? という論文を投稿していた。ミント マイヤー博士らが計算したのはアームチェア型(5,5) でありこれは 金属であった。しかし我々がジグザグ型の電子状態を計算すると、 (9,0)は金属になるが (10,0)は半導体になった。ジグザグ型のナノ チューブは (n,0)のカイラルベクトルだが、いろいろ試す とnが3の倍数のときに金属に、3の倍数でない時に半導体に なることがわかった。この規則はすぐに拡張され、一般の (n,m)のナノチューブの場合には、n-mが3の倍数の ときに金属に、3の倍数でない時に半導体になることがわかった。 これを3の倍数則と呼ぶ。3の倍数則は(n,n)のように n=mで表されるアームチェア型は任意のnで金属の条件にな り、ジグザグ型 (n,0)の結果もこの規則に含まれる。

この3の倍数則の直観的な説明をしよう。詳しい証明は参考文献に 譲ることにする。少し専門的な話になるので、ここで次の節に話を 進められても構わない。この規則は、筆者ら、NEC浜田典夫博士(現 理科大)、田中一義助教授(京大)の各グループによって独立に見出 された。炭素に手慣れた理論屋達である。

量子力学では、固体中の電子はその波動性から電子波としてエネル ギーを持つ。エネルギーEは電子波の波数k(波長の逆数)の 関数E(k)である。これをエネルギーバンドという。ナノチュー ブも黒鉛もおなじ六方格子だから電子波の伝わり方は基本的には同 じ。違う処はナノチューブの円周方向の波長が定在波として、円周 の長さの整数分の一で無ければならない点だ。波数kで表せば 1/Chの波数の整数倍になる。つまりチュー ブの円周方向の波数は周期境界条件で離散的な値をとる。一方チュー ブの軸方向はTの周期性から連続的な波数をとるから、チューブは1 次元のエネルギーバンドを作る。我々はチューブのエネルギーバン ドは2次元の黒鉛のエネルギーバンドから円周方向の波数を離散化 することでできる、と考えた。

黒鉛のエネルギーバンド E(k) は 2 次元の kx, ky の波数の関数である。これ を立体的に描いたのが図3だ(z 軸はエネルギー)。 E(k) は 2 つの面からなり、上半分が電子の占有しない伝 導帯、下半分が電子の占有する価電子帯である。黒鉛の場合は、伝 導帯、価電子帯ともπ軌道(黒鉛平面に直角な原子軌道)から作られ る。このうちの円周に相当する方向に波数を 2π /Ch 間隔のみをとればナノチューブの 電子状態が得られる。これは図3の曲面を『等間隔に切る』ことに 対応する。四角いパンから食パンを切る要領だ。この切口の線全部 がチューブのE(k) になる。切る方向はチューブの軸の方向で、切 る間隔は2π/Ch だ。

図3を見ると伝導帯、価電子帯が6箇所の点でつながっている。図で K、K' 点だ。この性質から2次元の黒鉛は伝導帯と価電子帯の間の エネルギーギャップが無い物質となる。これが黒鉛が良く電気を流 す理由だ。図3の曲面を『等間隔に切る』とき、切口がK または K' 点を通る場合はギャップが無く金属になる。逆に通らない場合には、 エネルギーギャップがあらわれ半導体になる。これがチューブで金 属と半導体が現れる直観的説明である。

物質を構成する原子がまったく同じであるのに、単に螺旋構造の違 いが量子効果に直接反映されるのは、固体物理では他に例のない現 象でありナノチューブ固有のものだ。これが量子効果であることを 反映して、この金属と半導体の規則をチューブに平行に磁場をかけ ることによって変えることができる。これは円筒面の電子の波数が 円筒を貫く磁束によって変調される効果によるものであり、一般に は AB (アハロノフ・ボーム)効果と呼ばれる。ナノチューブの AB 効果は安藤恒也教授(東大)グループによって理論的に予言され、実 験によって検証されつつある。

1/3 が金属に、2/3 が半導体になるのは六方格子の性質による。詳 しく説明はしないが、切口がK点を通らない半導体の場合には、K 点は2つの切る線の間の3等分点に来る。この性質によって半導体チュー ブのエネルギーギャップの大きさは『食パンの厚さ』に比例(チュー ブの半径に反比例)する。実際には 1eV ぐらいから 0eV まで連続 的に変わる。従来特定のエネルギーギャップの物質を作るのは、 2,3種類の物質を化合する職人芸であった。チューブの場合はギャッ プを半径を変えるだけで実現できる。このエネルギーギャップ領域 は赤外領域にあたり、太陽電池の効率をあげる応用例が考えられる。

最近は科学即技術だ。ナノチューブのエネルギーギャップが小さい のでヒーター無しの陰極管(テレビのブラウン管)が可能だ。ヒータ が無ければ陰極を与熱しなくてもすぐテレビがつく。既に齋藤弥八 助教授(三重大)と伊勢電子工業との共同研究で電子銃が試作された。 世界中のテレビからヒータがなくなったら、どれだけ電気が節約で きるだろうか。電子銃の仕組みが簡単になるから画素1つづつに電 子銃を組み込む事も可能で、ブラウン管の原理で壁掛テレビを作る ことが夢ではない。この研究は既に技術競争の段階なのだ。

5 新しい半導体への可能性

ナノチューブが金属にも半導体にもなるのなら、デバイスを作りた くなる。一般に、半導体に電気を流そうと思うと3価か5価の不純物 を添加し、それぞれ pn型の半導体を作って実現 した。しかしこの方法は、1 nm ぐらいの大きさでは不可能だ。な ぜなら不純物が作るエネルギー準位は不純物のまわりに十分広い空 間(10 nm 以上)が必要だからだ。だから現在の半導体技術が向上し 100nm ぐらいの細い回路はつくることができるかも知れないが 10nm, 1nm だと発想を変える必要がある。カーボンナノチューブは 発想の転換を可能にする物質なのだ。

ナノチューブは半導体や金属を不純物をドープせずに実現できる。 したがってまず大きさの下限はナノチューブの大きさの下限 (0.7nm)まで下がる。しかも螺旋度を変えればほぼ同じ半径で金属 と半導体のチューブを炭素だけでできる。例えばこの性質を利用し て、2 層の同心チューブを考えて、外側に電気を流さない半導体の チューブ中を金属チューブになるようにすると、最小の『被覆電線』 が可能だ。3 層の同心チューブで真中を半導体にして2つの金属を はさむとコンデンサー(メモリ)ができる。さらに次にお話しするよ うに、金属チューブと半導体チューブをつなげると、スイッチを作 ることができる。このように、デバイス、コンデンサー、配線すべ てナノチューブでつくることができる点が味噌である。これで小さ い空間で回路をつくる役者は揃った。

金属と半導体を接続するというのは、『木に竹を継ぐ』ような感じ だ。一般には異なる物質が接する界面でいろいろ問題がおきやすい。 界面の大きさを小さくすると、均質な界面を作るのは非常に難しい。 しかしナノチューブの場合には、両方とも炭素だからつなぐのは問 題ない。螺旋度の異なるチューブを接合できだろうか?

答は明解 yes である。螺旋度の異なるチューブの接続の設計図が ある。接続する2つのチューブの (n,m), (n',m') を指定すると図 4 のような設計図が書ける。螺旋度が異なれば半径も異なる。異径の チューブをつなげるのは、六方格子だけでは無理だ。しかしフラー レンの設計図の部品であった五角形や七角形を使えば可能だ。六方 格子に五角形があると辺が1つ足りないので図5のように円筒形が閉 じようとする。その先に七角形があると閉じるのが止まる。五角形 と七角形の間が円錐台状になり異径のチューブが接合される。

設計図の説明は図4の注をみて頂きたい。重要な点は設計図の書き 方に冗長な部分が無いことである。つまり2つのチューブの(n,m), (n',m')を指定するとつなぎ方が必ず一通りになる。これは、接合 の伝導を考えるときは大変便利だ。一つの接合形の電気伝導を考え るときは一つの界面構造だけ考えれば良い。計算では金属半導体接 合形としての特性を得ることを確認できた。つまりデバイスを作る 見通しがついたのである。実験でも飯島博士や遠藤守信教授(信州 大)の電子顕微鏡写真の中に半径の異なるチューブが接合する例が 確認された。この構造を意図して作ることは現在できない。技術の 目標として進むべき『蜘蛛の糸』のはるか先にあるのだ。

6. 現状と展望、そして課題

このようにナノチューブの科学は理論が実験を動かし、逆に実験で 発見したものを理論が説明する形で急速に進歩した。しかし研究は、 依然初期の段階である。20世紀後半でシリコンが半導体の米となっ たように、ナノチューブをお釈迦様の『蜘蛛の糸』にするには、ま だ相当の技術力が必要だ。なにしろチューブは小さい。半径の1000 倍はあるナノチューブの標準的な長さでさえ光の1波長以下だ。発 見されるのが20世紀では早すぎたぐらいだ。それでも新しい研究者 の参加によって、新しい展開が見えた。悪人の『蜘蛛の糸』と違っ て、ぶら下がればぶら下がる程『科学の糸』は強く太くなるのだ。

最近の大きな進歩の一つは、製造方法の展開である。全ての生物は 雷光から生まれ、また電磁波は火花放電から生まれた。ナノチュー ブも炭素のアーク放電のなかで生まれた。新しい科学は、尋常でな いエネルギー状態から生まれるのだ。電波を火花で通信しなくなっ たのは発振の原理がわかったからである。しかしナノチューブの生 成の原理はまだ分かっていない。わかったことは炭素原子を 1000 度以上の高温で1マイクロ秒以上持続することが必要だ。1996年に、 前述のスモーリー教授らは高速で回転する炭素ディスクに強いレー ザをあて、ナノチューブを生成する事を見出した。レーザーアブレー ションである。回転数とレーザーの出力を調整することができ、収 率を70 % にまでになったと Smalley らは発表した。

その他にも純粋に化学的に合成する方法、鋳型に炭素を吹き付 ける方法、シリコンカーバイトを高温で焼く方法が日本から提案さ れ展開が期待できる。年間数百トンという炭素繊維の合成法である 気相成長法(CVD)も試されているが、まだ大量合成には至っていな い。

できたチューブに1つ1つ名前(n,m)をつけるのは、物性物理学の仕 事である。1996年坂東俊二博士(現名城大)とエクランド教授(ケン タッキー大)グループは、独特の精製技術でナノチューブを取り出 しラマン分光で(n,m)を割り当てた。ナノチューブの格子振動数を 光で測定するのがラマン分光法である。理論によって格子振動数と 構造(n,m)の関係が求まり、振動数から構造が決定できる。光の波 長より短い分子でも測定できるラマン分光法は、ナノチューブに対 して有効な方法であり、現在も多くのグループから新事実が報告さ れている。

つまむこともできないナノチューブに電極をつけ、電流を流すとい うのは至難の芸当だ。ヘレマン博士(現 GM)らは、微細電極の上に ナノチューブをばらまき、2 つの電極の上に偶然のったチューブの 電流の測定を行った。当時は、チューブの半径が大きくて多層のチュー ブであったので、エネルギーギャップの半径依存性が観測できたの みであった。1997 年デッカー教授(デルフト大)は極低温(0.1K以下) で1層のナノチューブを測定した。極低温、微細加工、計測に卓越 した技術をもつこのグループは、チューブを摘みさらに切るという 荒技まで1998 年の米国物理学会で報告した。技術は誰かが克服す れば必ず上回る結果がでる。リーダーシップをとって来た日本も含 め、ハイパーな微細加工技術の急展開が望まれている。

微細な空間に電流を流すと、もはや電気伝導はオームの法則に従わ ない。抵抗の起源となる散乱体がない世界に近付くからだ。電子の 波動性が伝導に直接関係する。これを量子伝導と呼び、そのような 微細な空間をメゾスコピック系と呼ぶ。ナノチューブも、メゾスコ ピック系の『選手』であるが、いままでに得られた実験結果は、ま だ完全に量子伝導を見たとはいえない。究極の精製技術を確立した 代表選手シリコンは1ミクロン以上の大きさの中で不純物や欠陥を0 にすることができ量子伝導の研究が花盛りなのだ。

ナノチューブは大きさは小さ過ぎるが、そんな現状でも希望が無い わけではない。ナノチューブはその特異な電子構造によって、欠陥 があっても散乱が起きないことを数値計算で中西毅博士(現理研)が 指摘した。これは、電子の波動関数の干渉効果だ。通常散乱体によ る後方散乱は他の方向に比べ散乱強度が強い。これは散乱を強めあ う同位相の散乱波の対(時間反転対称対)があるからで、これは気象 レーダーが雲を捉える原理にもなっている。しかしグラファイトの 場合には、位相にベリーの幾何位相と呼ばれる位相が付与され逆に 打ち消すのだ。騒音を消すのにその逆位相の音をスピーカーから出 し、干渉効果で消す手法と同じ現象である。この量子干渉効果がナ ノチューブにはあるので、多少の不純物があっても量子伝導を観測 されるはずだ。それがベリーの位相の存在証明にもなる。

以上ナノチューブの展開を概観した。まだまだ説明していない処も 多いが、ナノチューブの世界が急速に広がっていることを実感して 頂けたと思う。取り巻く技術はシリコン技術に比べれば未熟で層も 薄い。しかし半導体で1945 年に点接触のダイオードが発明された とき、誰が半導体で LSI が作られ、ラップトップパソコンで原稿 を書くと想像しただろうか? 科学技術の進歩は、想像ができれば果 てしなく進むものであり、ナノチューブの科学は充分技術力を引き 付ける魅力を有する。ナノチューブの『蜘蛛の糸』の先は想像もつ かない。半導体がかつて Ge から Si に移ったように、周期表で同 じ4属のCに移る日が、突然訪れるに違いない。微小黒鉛電池内蔵、 ナノチューブCPU パソコンは『蜘蛛の糸』のように軽いはずである。

(注: 本原稿の執筆中、一緒にナノチューブの研究をしてきた筑波 大の藤田さんが急逝された。精力的に研究を推進した矢先のことで 痛恨の極みであります。紙面を借り謹んでご冥福をお祈りします。)

参考文献

1. ``Physical Properties of Carbon Nanotube'', R. Saito, G. Dresselhaus, and M. S. Dresselhaus, Imperial College Press, London, 1998.

2. ``Science of Fullerene and Carbon Nanotube'', M. S. Dresselhaus, G. Dresselhaus, P. Eklund, Academic Press, New York, 1995.

3. ``Carbon Nanotube'', ed. T. W. Ebbesen, CRC press (1997)

4. ``Special Isse of Nanotube'', eds. S. Iijima and M. Endo, Carbon, vol. 33 No. 7, 1995.

5. 量子物理学, 齋藤 理一郎、培風館、電子工学初歩シリーズ No.7, 1995 グラファイトのエネルギーバンドの計算方法等。

図1. ナノチューブの設計図。OB と AB' をつなぐとチューブがで きる。OA (Ch) がカイラルベクトル。θが螺旋度。

図2. ナノチューブの立体構造 (a)(5,5) のアームチェア型(b) (9,0)のジグザグ型、(c) に (10,5) のカイラル型のチューブ。

図3. 2 次元黒鉛のエネルギーバンド E(k)。z 軸はエネルギー。上 半分が電子の占有しない伝導帯、下半分が電子の占有する価電子帯。 伝導帯、価電子帯が K, K' 点で接しエネルギーギャップが無い。 右上図は、エネルギー分散関係の図。

図4. 異径のチューブの接合の設計図。TACRとUBDSをつなぐ。Cが五 角形、Aが七角形になる。台形ACDBがチューブをつなぐ円錐台の部 分。幾何の証明から△OABと△OCDは正三角形という条件がある。

図5. 異径のチューブ(12,0)-(8,0)の接合の様子。六方格子に五角 形があると辺が1つ足りないので円筒形が閉じようとする。その先 に七角形があると閉じるのが止まる。



1998.5.12 作製。

齋藤 理一郎
Riichiro Saito, Dept. of Elec. Eng. Univ. of Elec. Commun., Tokyo 182-8585,
rsaito@ee.uec.ac.jp, http://flex.ee.uec.ac.jp