電気通信大学通報 No. 6 (1993) に掲載したものです。

エレクトラとオーム

電子工学科 齋藤 理一郎 (rsaito@electra.ee.uec.ac.jp)


ネットワークの「洗礼」

エレクトラ(electra)とオーム(ohm)は電子工学科のワークステーショ ンの名前である(注: ドメインネーム(domain name) = ee.uec.ac.jp をつけると、世界で固有の名前 electra.ee.uec.ac.jp, ohm.ee.uec.ac.jp になる。エレクトラは、 教官専用で、オームが学生用である。)。 2台のワークステーション は、 「電子工学科らしい」ということで上の様な名前を付けられ、 今日まで学科におけるネットワークの核として実に良く働いてきた。 筆者はたまたまこのエレクトラが導入された1990年に電通大に赴任 し、ネットワーク の「洗礼」を受けたのである。

それまで筆者にとってコンピュターといえば、「身近な世話」をし てくれるパソコンか、「大きな計算をする」スーパー(汎用)コンピュー ターしかなかった。赴任した当時、部屋の前を張っている黄色いケー ブルに恐る恐る穴を開けた頃は、まさかワークステーションが世界 中とつながる「研究の命綱」になるとは想像すらしなかった。 LAN(注: Local Area Network の略。)と呼ばれる黄色いケーブ ルが本学に張りめぐされた(注: DINS (ディンス) と呼ぶ。 Denkitsushin daigaku Integrated information Network Service system というとてつもない長い名前の略である。) のがやはり筆 者が赴任した1990年の春と聞くから、今から思うと甚だ好運であり、 ケーブルを赤字覚悟で敷設した先見性に感嘆せざるを得ない。

又、昨年在外研究員で マサチューセッツ工科大学 (MIT) にいく機 会を得たが、この時も本学で得たネットワークの知識のおかげで随 分助かった。「お前は、日本からのビジターでないみたいだ」とい われた時は、(変な話しではあるが)嬉しかったものである。

黄色いケーブルに付く蝉

研究室でワークステーションを持たない筆者( 注: 端末を所有 している。)にとって、エレクトラとオームは、このネットワーク の恩恵を受ける唯一の手段である。最近電子工学科事務室 (ee-jimu@electra) が ネットワーク化し、特にその重要度を一層 増した( 注: finger @130.153.13.17 とすれば、多くの人が使っ ていることがわかろう。)。事務の秘書の方から会議のお知らせや fax 受信の連絡が電子メールで知らせてくれるなどと聞けば、よそ の学科の人で驚かれる方も多いに違いない( 注: 通常の文書の 配布も併用して行なわれている。電子メールの利用者は、教職員77 名中49名(1993年3月末現在)である。ちなみに学生ユーザーの数は (4年生以上)117名(同)である。この他のサービスとして、全学の会 議スケジュールが何カ月先まで入っていて、前日(前日が土日なら、 金曜日)になると自動的に関係者のみ電子メール連絡するようになっ ている(カレンダー)。その他、全学約5,300人の学生名簿、成績報 告書の Latex file 等いろいろの共通の情報を登録している。)。

筆者自身も、数値計算、論文(図)の作成、論文の電子メールによる 投稿(図も含む)、編集者(レフリー)から手紙、preprint の送付、 国際会議の案内、研究連絡の通信、研究分野のデータベース検索、 文献検索 ( 注: 九州大学の AIR(INSPEC) を使用している)、計算デー タの転送、国際電話代わり( 注: xchat, phone, talk と呼ば れる道具がある。)など、学内外を問わず頻繁に使わさせて頂いて いる。それまでは preprint などは印刷し、封筒に宛名を書いて郵 送したものである。また原稿も〆切に間に合うように慌ててポスト に出したり( 注: 米国の Phys. Rev. 等では、受け付けの日時 が10日は違う。電子メールによる投稿は、AIP(American Institute of Physics)規格 の RevTex ver. 3.0 を用いる。)、捕まらない先 生方や学生に何度も確認の電話をかけたり( 注: 電子メールは、 同時に複数に送ることができる。)、同じ話を何人にも電話をかけて 意見の調整をしたり、出した紙が届いたかどうか心配したり ( 注: 電子メールは相手が読んだかどうか、知ることができる 機構がついている。)した一切の面倒が、確実に少なくなってきてい る( 注: 勉強して得た利益は十二分にあった。)。従って精神 衛生上、また(紙を使わないから)地球環境上非常に好ましい。この 恩恵は、単に「機械」を持っているから得られるのではない。ネッ トワークの先に多くの「人間」がいてそれらの無償有償の貢献によっ て成り立っていることを忘れてはならない。私のような専門外の人 間は、さながら黄色いケーブルから「甘い汁」だけを吸っている 「蝉」の様であるが、せめてネットワークの「ご利益」でも紹介し て、本稿の責を果たしたい。

文珠の知恵

逆説的であるがもし自分のワークステーションを「持った」とした ら、これほど濃密な利益を受けることはなかったであろう。単独で ワークステーションを維持管理することは難しい。動いていても、 計算機環境が良い( 注: 「計算機環境が良い」とは、(1)使い やすい(簡単)、(2)初心者に対する配慮がなされている(親切)、(3) 他の機種にいっても困らない普遍的な環境を用いている(共通)、 (4)使える人が多い、手助けしてくれる人がいる(教育)、(5) 速い、 混んでいない(容量)。等があげられよう。)のは稀である

( 注: 「お世話係」がいても高々一人ぐらいであろう。)。エ レクトラとオームの様な多くの手の集まるワークステーションは、 多くの人を満足させるため「手とり足とり」的改善がなされ環境や 良い。学科というサイズも居心地が良い。これぐらいのサイズなら、 N 人に対し、1/N の努力で、N$^2$ に比例した利益が得られる。 まさに「三人よれば文珠の知恵」である。専門でない人間にとって UNIX の勉強は「時間の投資」にほかならない。時間を投資した以 上の利益がなければ「単なるマニア」である( 注: 基本的には、 好き嫌いのあるのは否めないが。)。「文珠の知恵」を生かしてこ そネットワークの意義がある。

持つべきか、持たざるべきか

では、ワークステーションを研究室単位で持っているのは損である かというとそういう訳でもないらしい。実際、筆者の学科でも多く の研究室がワークステーションを持っている。それらとエレクトラ やオームを「親子関係」で結び、常時エレクトラの巨大なディスク からいろいろ便利な情報を供給するのだ。従って、エレクトラやオー ムを一見使ってない研究室も、間接的に利益を得ているようだ。研 究室側のディスクには必要最小限のものを保管するだけでよいから、 ディスクに余裕ができる。また、システムの「お手本」も参考にで きる。こういう訳で、学科で「持つ人」も「持たざる人」も、大い に満足している次第である。もちろん「持つ人」は、自分の計算 (CPU)資源が独占できるので、「持っている分、得」という満足が あるのはいうまでもない。黄色いケーブルの存在によって、設備の 付加価値が単独に存在するよりも2倍にも3倍にもなる効果は、電話 の数と利用効率の関係に似ている。

階層化したネットワーク

そうなると、「コンピューターはどう買うべきであるか」という疑 問が生じることであろう。筆者は情報の専門家ではないし、買うお 金もない。おぼろげに感じているのは、「階層的なネットワーク環 境が整備するように」買うのがよいと思っている。つまり、あまり 使わない人(又筆者のようにお金のない人)は、なるべく共通の空間 で、「先人の知恵」を使いたい。経験や研究費が増えるに従って、 学科の下の、例えば大講座のワークステーションを使い、やがて研 究室、個人のワークステーションと必要に応じて細分化していく。 細分化した先への「(親子関係といった)計算機環境の踏襲」や「資 源の分化」は利用形態に応じてなされよう。そして、この階層の頂 点に立つべきものが、情報処理センターのシステムになる。

共通の環境作り

今まで情報処理センターを手初めに使った多くのユーザーは、ワー クステーションで全く別の使い方を一から習わなければならず、パ ソコンではパソコンのコマンドを習わねばならない、といった「非 ネットワーク、異環境」の世界に苦しめられていた。ネットワークが整 備された今、このような状況は非効率なものといわなければならな い。筆者などは、毎年卒研生や大学院生が研究室に来た当初に、ワー クステーションの講習会を開くが、学生が慣れるまでとにかく時間 がかかる。学部教育で習った環境がそのまま使えるようになるば、 どれだけ相互の時間の節約になるであろうか。平成6年3月に導入さ れる情報処理センターの新システムは、このような「共通の環境作 り」に対する意見が多く取り入れられると聞いている。一層の改善 に大いに期待したい。

アセナ・プロジェクト

MITでは、「共通の環境作り」に対する議論が既になされ、一部教 官から供出された中古のワークステーション 2、30台を使って、 「アセナ・プロジェクト (Athena Project)」が始められた。今か ら8年前のことである。プロジェクトの目的は、全学共通のコンピュ ター環境を実現し、ネットワーク化に対応することにある。このた め全ての学生が入学時からコンピュータのアカウント(課題番号 ( 注: 利用のためにつける名前、筆者の場合 エレクトラでは、 rsaito である。アセナの課題は無償である。))を持ち、日常の勉 強しながら計算機にも慣れる仕組みをとっている。登録もいたって 簡単で、最寄りの端末\footnote {全学に散らばる図書館や、20位 の専用の小部屋(クラスターと呼ばれる)に散在する。) の前に座っ て、学生証番号と「本人しか知り得ない情報 (注: 母親の旧 性などが使われる。)」を入力することで、無人で ok である。所 要時間 1分程度であろうか。このあと学生は、先輩学生のボランティ アによって学期期間中毎日開かれる講習会の一覧表を見ながら、必 要に応じて受講し勉強する。電子メールの使い方や論文(レポートの書き 方)、グラフィックの使い方を習い、実際の授業で出されるレポー トの作成やコミュニケーションに使う。学部生、大学院生合わせて 約1万人の規模が、共通の環境で学んだ効果は、(学生の使う頻度 の差はあれ) はかり知れないものがある。そういう人材を毎年輩出 する大学の社会に対する効果、又教育研究におけるコンピューター 環境の底辺の広がりによる効果は非常に大きく、この貢献によって 有志( 注: Information Systems (IS) 学科が中心。MIT では、 IS の方に多くお世話になった。去年電通大に戻って「IS」と呼ば れる独立研究科ができていて、非常に嬉しく思った。) で始められ たこのプロジェクトは、大学執行部から高く評価され、昨年巨額の 予算をプロジェクトの整備にもらうに至るのである。

アセナの底辺

筆者が、昨年 MIT に滞在した時は、まだこの新しい整備以前の段 階だった。筆者自身も、このアセナ アカウント をもらうことがで きた( 注: ビジターは、受け入れ教官のサインで ok である。)。 研究室のワークステーションにもアカウントがあるので特に必要と いう訳ではないが、こういう全学的な環境に興味があったのと、 MIT で、これを持っていないのは鼠( 注: MIT には 鼠が沢山 いる。24 時間暖房と、弁当の残りなどの豊富な食糧のためである。 コンピューターのマウスと区別するため、`real mouse' と呼いで いる。)ぐらいというぐらい便利なのものなので頂いた次第である ( 注: maple と呼ばれる、数式処理のプログラムを使うのが本 当の目的であった。)。アセナの計算機環境は、ごく標準的なもの である。電子工学科のエレクトラでの環境と表面的に変わらない。 従って全く違和感なく使い始めたので、始めに書いたように褒めら れたり、端末に座っていると不慣れな学生からよく質問されたりし た ( 注: 何も知っている訳ではないのだが、端末の前に座れば一 応「さまになって」いるのである。)。アセナで感心したのは、知 りたいことにもっとも最善な方法でたどり着く配慮が、とことんな されていることである。先ほどの講習会もそうだが、OLC (on line consultant) といって、real time でボランティアが答える仕組み がある( 注: 答えると回答者に得点が加算されるようになって いる。)。それでも答えられない様な場合には、faculty liaison といって、専門の教官に質問が回るが、これは稀である。これらは、 「教える側の底辺の広さ」による寄与が多い。電通大にもある IBM の ワークステーション や DEC の機械( 注: 当時それがアセ ナの本体であった。)にぶら下がっている人間は、常時 1台あたり 30 人ぐらい( 注: 毎日 2,000 人ぐらいが利用している。大学 院生や職員は、自分の研究室を使うことが多い。アセナへの電子メー ルは自動転送される。アセナは、自宅からの電話回線利用の窓口 (athena.dialup.mit.edu)にもなっている。市内電話は、月 10ドル も払えば無制限に使えるので学生の電話からの利用者も多い。)で レスポンスは全く遅いが、日常のデスクワークには問題ない。学生 相互に協力して仲良く使っているのだ。

MIT のネットワーク

この他 MIT では、アセナとは別に校費の支払や物品の注文もネッ トワークによってなされ、こちらの方は当然ながら管理が非常に厳 しくなっている( 注: 詳しくは聞かなかったが、password の 変更を毎月するらしい。 紙とか注文すると、その日に持ってきて くれるのが嬉しい。伝票も集計もない。お金の出どころが多い米国 では便利である。)。逆に、図書館の文献検索は、アカウントなし で 24 時間できるので、全米( 注: 電通大からも可能。 library.mit.edu である。)から、検索がなされている。全米の主 要大学の policy や、いかなる情報も、ネットワーク上に載せられ ていて公開されている( 注: これもエレクトラからアカウント なしに見ることができる。xgopher と呼ばれる。)。犯罪が圧倒的 に多い MIT でこんなにいろいろ公開されていてよいのか甚だ不安 にもなるが、見えないところでまた多くの防御策がなされているに 違いない。自由に理想的に使わせるというおおらかな態度や、「学 生自身が運営に貢献している」という意識が思いのほか高いモラル を作っているのである\footnote {もっとも端末室でパンを食べな がら仕事をしていたり、紙を散らかしたり、日常面のマナーはよろ しくない。)。

日本に戻って、その様な環境が小規模であるが、エレクトラとオー ムに実現されているのは救いであった。他学科でも、このような試 みはなされていることとは思う( 注: 西9号館2階の情報工学科 の教育設備はすばらしい。一見の価値はある。)が、全学的な規模 になることを、願ってやまない。

渓流下り

コンピューターに関連する技術の進歩は、ここ近年ハードからソフ トに至るまで全てを巻き込んでおそるべきスピードでなされている。 コンピューターの性能が 2倍になって値段が半分になったなどとい う話しは「ざら」なのだ。情報処理センターが現システムをいれた とき、 4年後の今日の世界が今のようになっているとは誰が予想し ただろうか。それほど急な展開なのである。流動的な進歩のなかで、 常に脱皮を繰り返し成長する強い生命力が必要だ。少なくとも、新 しい試みを阻害することがあっては決してならない。

このような計算機の進歩に付いていったからといって、自分の専門 の研究が進歩する訳ではない。この点が一番困りものだ。自分さえ 困らなければ「技術革新の濁流」を静観するのも良いだろう。しか し、自分を取り巻く環境がこうもネットワークに依存したものにな ると、ネットワークという「命綱」を切ってまで、もう一つの「科 学の進歩の濁流」に飛び込む気はない。後戻りはできないのだ。ネッ トワークの「専門でない」筆者の心の拠り所は、「専門でない」点 にある。ネットワークの進歩の流れには「渓流下りのお客さん」で いようと思う。「濁流のスリル」を味合いながら、新しい世界に進 んでいく楽しみを満喫しようと思っている。

(1993.5.23 作製)


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