「カーボンナノチューブの基礎と応用」(培風館) 本の序文


「カーボンナノチューブの基礎と応用」
(培風館) 本の序文

は じ め に

本書は、大学や大学院で学ぶ学生や専門の研究者を 対象に、カーボンナノチューブの基礎と応用を述べた教 科書である。カーボンナノチューブの研究が現在のよう な物質諸科学の大きな幹になったのは、1991年の飯島澄 男による多層カーボンナノチューブの発見が契機である。 それから12年が経過して、発見当時には思いもよらなかっ た豊穣で広範囲な研究分野が切り開かれた。多くの科学 者がカーボンナノチューブの研究に魅せられ、研究に没 頭した。

カーボンナノチューブの研究は、他の分野にはあま り見られない3つの特徴的な点で発展を遂げてきた。最 も大きな特徴は、その研究がもつ守備範囲の広さである。 物理学、化学、材料科学、電気・電子工学あるいは生命 科学など、非常に広範囲の研究者の研究対象になってい る。しかも、研究と開発の速度が非常に速い。物理学や 化学関連の多くの雑誌に、毎号のようにカーボンナノチュー ブの研究論文が掲載される。このため、学部や大学院の 学生が初めてカーボンナノチューブの基礎を学ぼうとす るとき、戸惑うことが多い。広い守備範囲を結束してカ バーするために「多分野のための、多分野の人による、 多分野の研究を共通の言葉で解説するナノチューブの教 科書」の必要性を、われわれ研究者自身がもっとも強く 感じている。

2番目の大きな特徴は、基礎研究と応用・実用 化研究が互いに極めて近いことである。ナノサイエ ンスとナノテクノロジーのトップランナーといわれてい るカーボンナノチューブは、今や電子デバイス、燃料電 池、パネルデイスプレイ材料、あるいはガス吸着などへ の広範囲の応用・実用化の研究が急速に進んでいる。大 学の研究室で創製された新しいタイプのカーボンナノチュー ブが、2週間後にはデバイスに組み込まれて応用研究が 始まるのである。カーボンナノチューブの研究を実際に 進めている大学や民間企業の研究者や技術者にとっても、 自身の専門分野以外の進展を把握することが困難であろ う。応用の現場の人は基礎を、基礎の人は応用を端 的に知ることが、次の瞬間のために必須である。

カーボンナノチューブ研究を特徴づける第3番目の 特徴は、セレンデイピテイー(偶然の発見)である。科 学研究の大きな節目にはセレンデイピテイーがあるとい われているが、カーボンナノチューブ研究では、まさに セレンデイピテイーが重要な役割を演じた。1 991年、多層カーボンナノチューブはフラーレン研究 の発展途上に発見された。その2年後、偶然に発見され た単層カーボンナノチューブは金属内包フラーレンの研 究の途上に起こった。1998年には、電子顕微鏡の専 門家によって、ピーポット(フラーレンを内包したカー ボンナノチューブ)が数多くのカーボンナノチューブが 写った電子顕微鏡写真の中に、偶然にも発見された。パ スツールは『偶然の女神は良く準備された人に微笑 む』といったそうであるが、研究現場に立つ多忙な 著者の生の声こそが、いかに準備すべきかのヒント になるに違いない。

1991年に多層カーボンナノチューブが発見され てからしばらくは、カーボンナノチューブはあまり注目 されなかった。一つの理由は、当時フラーレンの科学 (特に超伝導)が急速に進展していたのと同じタイミン グであったこと、もう一つは、多層カーボンナノチュー ブは構造的に複雑で、また実験的にも当時は純度の高い カーボンナノチューブを作ることができなかったためで ある。しかし、1993年に単層カーボンナノチューブ が発見されるに及んで、カーボンナノチューブの研究は 急速に研究者を虜にしていった。

単層カーボンナノチューブは基本的にはフラーレン と同じ幾何学構造をもっているので、構造はもとより電 子物性や電子輸送特性の理論的な予測が可能となった。 単層カーボンナノチューブの表面にある6員環の模様 (カイラリテイー)によって、ナノチューブは半導体に なったり金属になったりすることが1991年に理論的に予 測され、1998年に実験的に検証された。炭素だけのネッ トワーク構造と特異な電子物性と輸送特性は、カーボン ナノチューブの基礎部だけでも固体物理の教科書が書け るであろう。

カーボンナノチューブの基礎科学に関しては、現在 までにいくつかの優れた内外のモノグラフや解説書が出 版されている。ただ残念なことに、これらはカーボンナ ノチューブ研究の基礎と応用の双方に関する基礎事項が、 必ずしもバランス良く記述されているわけではなかった。 本書では、カーボンナノチューブの基礎と応用に関 する基礎事項を可能な限り平易に解説することに努 めた。基礎的なテーマを厳選して、カーボンナノチュー ブ研究の発展を、学問的な厳密性を失うことなく言葉の 定義から説明するように努めた。また応用に関しては、 基礎事項との重複を恐れずに別の立場・視点から、 必ずや役に立つであろう情報を網羅することを努め た。

各章の担当者はカーボンナノチューブ研究の世界で、 それぞれ各分野の第一線で活躍している、現在考えられ る最高の執筆者である。研究に忙殺されるすべての著者 から期日までに原稿を得たのは、編集者として大きな喜 びである。また、関連する章どうし相互に内容を議 論し、本としての統一性を十分に配慮することによっ て多くの著者によるメリットを最大限に生かした。まだ 編集上いたらぬところも少なくないと思う。読者諸氏の ご意見をお寄せ頂ければ幸いである。本書のページを、 http://flex.phys.tohoku.ac.jp/book03/ に用意した。 読者の意見にWebページでお応えしたい。

カーボンナノチューブ研究の発展を見るとき、日本人研究者が大きな役割を果たしてきていることがわかる。多層カーボンナノチューブの発見以前に、遠藤守信らが気相化学蒸着(CVD)法でカーボンナノチューブ物質を合成していたことは良く知られている。また、カーボンナノチューブのカイラリテイーの違いによって、その電子物性と輸送特性が劇的に変化するという理論的な予言にも、日本人研究者が極めて重要な役割を果たした。本書の読者の中から、次世代のカーボンナノチューブ研究を牽引する科学者や技術者が誕生することを願ってやまない。

最後に、カーボンナノチューブ研究に没頭できる貴重な時間を割いてくださり、熱意をもって各章を執筆して頂いた筆者の方々に心から敬意を表します。また、本書の企画から完成までを担当された培風館編集部の松本和宣氏に、この場を借りて感謝いたします。

平成15年10月10日

齋藤 理一郎・篠原 久典

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