(電気通信大学電気通信学部)
本報告書は、炭素原子からなる巨大分子構造のもつ特異な電子状態 に注目し、その物性を計算をおこなった研究の成果報告書である。 研究代表者はカーボンナノチューブや微小グラファイト構造を研究 対象とし、主に半経験的量子化学計算を用いて電子状態や振動構造 の計算を系統的に行なってきた。カーボンナノチューブの立体構造 に特有の物性として、 (1) チューブに金属と半導体が存在するこ と、 (2)磁場中チューブの特異な量子効果、(3)チューブの金属半 導体ナノ接合の可能性が知られている。また微小グラファイト構造 にアルカリ金属やハロゲン原子をドープすることで、ナノ構造の量 子効果に新しい機能を付与することや、リチウム2次電池の応用研 究が研究の興味となっている。
本研究では新しい立体構造を設計し、その電子状態の計算をおこな
い、物性としてラマン効果の計算を行なう事で物質を理解すること
ができた。また関連する電子状態の特徴を数値計算を通じて理解す
ることができた。科学研究費補助金によって計算機環境の整備する
ことができ、このような大きな研究の成果を得る事ができた。本報
告書では補助金に感謝し、 2 年間の研究の成果を報告する。本研
究の推進にあたって事務全般をしてくださった秘書の山本純子さん
に感謝する。
平成 8 年度 | 3,400 千円 |
平成 9 年度 | 2,700 千円 |
計 | 6,100 千円 |
研究代表者は、主に炭素原子からなる巨大分子構造の特異な電子状
態の計算を行ない、多くの成果をあげてきた。特にカーボンナノチュー
ブについては、半経験的計算を用いて電子状態や振動構造の計算を
系統的に行ない、立体構造に特有の物性として、(1) チューブに金
属と半導体が存在すること、(2)磁場中チューブの特異な量子効果、
(3)チューブの金属半導体ナノ接合の可能性を示した。この他にも
(a)希土類原子クラスターを相対論的配置間相互作用法を用いての
4f多重項を計算し、(b)分子動力学法である Car-Parinello 法の
計算プログラムや半経験的量子化学計算
mopac93, 第一原理量子化
学計算 Gaussian 94 等を移植し、ポリパラフェニレン (PPP)と呼
ばれる高分子を熱処理して得られるポーラスグラファイト表面での
Li 原子の過剰吸着構造を調べ、さらに(c)ポーラスシリコン中での
希土類原子の発光に対する理論的解明を行なっている。これらの物
質群に共通することは、ナノメーター程度の大きさの立体構造が電
子状態の量子効果を生ずることである。これらの立体構造は、構造
自体を理解することが難しく、また並進対称性をもたない場合もあ
り、従来のエネルギーバンド計算で取り扱いが容易ではない。
本研究の第一の目的は、上記ナノ構造への量子効果が最も顕著であ る立体構造を理論的に設計し、計算によって安定に存在するかどう かを定量的に示すことである。第二の目的は得られた構造から期待 される物性を予言し、実験で検証する指針を与えることである。こ れらの研究には、原子数または立体構造に適したプログラムを実行 するだけでなく、その複雑な構造を計算結果とともに視覚的に表現 することが本質的に必要である。例えば半径の異なる2つのカーボ ンナノチューブが接続する構造は、接続する2つのチューブを定め ると接続部の構造が1通りしかないことは図で示すと直観的に理解 できる。この事実を理解して初めてこの構造が金属半導体ナノ接合 になることを示すことができるのである。各種グラフィックに習熟 した経験をもとに、立体構造を説明する総合的な計算システムを作 ることを本研究の第三の目的とする。
本研究の特色は、特異な立体的構造を利用して新しい物性を作る点 にある。従来の物性物理では、(1)原子や分子の組成を変えること や、(2) 既存の物質の超構造を構成することで新しい固体を作り、 多くの成功を治めてきた。しかし小数の原子種の立体的な構造から 新しい物性を作り出す研究は多くなされていない。本研究は、単一 または数種類の原子が作る立体構造の物性を創造する点に特色があ り、未知の物性探索の意義がある。
以下の研究成果では、カーボンナノチューブとグラファイト微結晶
で得られた主な結果について報告する。
6.2 カーボンナノチューブのフォノン構造とラマン強度
カーボンナノチューブは、1996 年度に レーザー蒸発法の開発によっ て、単層のカーボンナノチューブの半径を制御することが可能になっ た。これによってカーボンナノチューブの研究は物性測定が可能な 段階に至り、益々活発な報告がなされている。Rao らは (Science 275, (1997) 187.) レーザー蒸発法によって得られた単層のカー ボンナノチューブのラマン測定を行い、アームチェア型のカーボン ナノチューブの振動モードを用いて解析した。しかし、実存するカー ボンナノチューブはこのほかに カイラル型のカーボンナノチュー ブがあり、Rao らはカイラル型のカーボンナノチューブの解析をお こなわなかった。我々は、全ての螺旋度のフォノン分散関係を計算 し、カーボンナノチューブのフォノン構造についての知見を得た。 またΓ点での基準振動をもちいてラマン効果の強度を結合分極近似 を用いて計算した。
R. A. Jishi らは、二次元のグラファイト層の phonon 分散曲線を 折り曲げる(zone folding)することによってカーボンナノチューブ の phonon の分散関係を求めた。しかしこの方法ではチューブに固 有な音響モードやいわゆるブリージングモードを得られない。我々 は、カーボンナノチューブの単位胞の構造正しく反映した力のテン ソルを定義し、さまざまな螺旋度の異なるチューブの振動モードを 直接得た。この計算において力の定数の rotational と translational な sum rule を満たす為に、ナノチューブの曲率に 依存して補正する項を加えた。この補正は補正を使わない場合比べ、 結果の周波数のずれは、 phonon の周波数に比べ小さく(高々 cm-1)) 補正として妥当なものと考えて いる。
ラマン強度の計算では、カーボンナノチューブの 1 次元構造を反 映して、入射光と散乱光の偏光を平行 (VV 配位) と 垂直 (VH 配 位) の 2つの場合について考慮し計算を行った。おもな結果を列挙 すると、(1) ナノチューブの音速は、縦波、ねじれ波, 横波の順で 速いことがわかった。ここでねじれ波とは円筒系のカーボンナノチュー ブをねじりながら進む波である。最も遅い横波が 2 重に縮重して いるので、この 1 次元物質には 4 つの 音響モードが存在する。 (2) ナノチューブの 低振動数ラマンモード (500cm-1 以下) の振動数は、半径のみに依存し螺旋度には依存しない。したがって 振動数から直接半径を推定することができる。(3)ナノチューブの 高振動数ラマンモード (1590cm-1 付近)の振動数は基本的にグ ラファイトのラマンモードを折り返したモードである。この振動数 もわずかながら半径の依存性がある。(4)ナノチューブの 中間振動 数ラマンモード (500-1250cm-1)の振動数は、無限に長いナノチュー ブの場合強度を得ることができなかった。しかし有限の長さにする と強度が現れることから、これらのモードは有限のサイズの効果で あると考えられる。(5) 角度依存性を求めてみることによって、実 験から直接ラマンモードの対称性を求めることができる。これはと くに高振動数ラマンモードの分離に有効である。
これらの結果は、Phys. Rev. B に発表した(本報告書に掲載)。ま
た 英国物理学会誌 Physics World 誌に掲載された(本報告書に掲
載)。また カーボンナノチューブの項として McGrowhill の 1998
year book of science and technology に掲載された(本報告書に
掲載)。 この内容に関して 米国ケンタッキーでの workshop (7 月)
と フランス国ナントでの joint workshop (10 月) で招待講演を
行った。 この研究のまとめとして ``Physical Properties of
Carbon Nanotubes'' 本 (Imperial College Press 社, 258 ページ、
本報告書では preface と index のみ掲載)
を 1997 年 12 月 末に脱稿した。1998 年度中に出版の運びである。
6.3 カーボンナノチューブのべりーの幾何位相
研究代表者は、物性研究所安藤教授との共同研究でカーボンナノチュー ブにおける量子輸送の問題について、グラファイトの電子構造に立 脚した特異な問題を考察した。この問題の背景となった、1996 年 の カーボンナノチューブの junction の論文を本報告書の成果の 説明として掲載する。
カーボンナノチューブの不純物散乱の特殊な場合として、散乱ポテ ンシャルが A, B 副格子に等価で k に依存しない散乱振幅を与え る場合には後方散乱が消失することが、安藤と中西によって報告さ れた。これは一つの散乱する経路とその時間反転した経路の後方散 乱の位相が逆であり、干渉によって消える現象である。このことは、 カーボンナノチューブの電子がこのような散乱ポテンシャルでは散 乱されないという驚くべき結果を与える。
一般にお互いに時間反転する2つの経路で散乱の位相が同じで強め
合う効果は、アンダーソン弱局在状態が起きる機構として知られて
いる。またスピン軌道相互作用を含むポテンシャルの場合には、位
相がπだけずれる現象も知られている。安藤らは、 T 行列の計算
で仮想的に現れるスピンの代数によってこの効果を証明した。この
理論セミナーでは、散乱行列要素における波動関数の位相に視点を
向け、波動関数の位相差によって定義される角度が散乱角の半分に
なり、エネルギーが縮重する K 点のまわりでの 2π異なる経路で
は、πの位相差(反対の符号)を持つ事を示し、消失効果を証明した。
この効果は、マイケルベリーが提案した、波動関数の幾何学的位相
と深く関係がある。この結果に関しては現在論文を投稿中である。
6.4 グラファイト微結晶の電子状態
直径が20Åぐらいのグラファイト微結晶を Li や F で化学的に 修飾した系ので電子状態について幾つかの理論的知見を得た。Li イオン電池との関連について報告した(本報告書の論文参照)。
直径が 1 nm 程度のグラファイト微結晶は、表面に存在する炭素原 子数とシグマ骨格中の炭素原子数が同程度であり、反応性に富む。 この大きさのナノグラファイト構造は、個体や分子に見られない新 しい量子効果を伴う未知の物性が可能であることが知られている。 藤田等は、理論的にグラファイト微結晶端に局在する電子状態によっ て、分子状態や結晶の状態にない機能をグラファイト微結晶に作る 可能性を指摘しその物性を展開する可能性を示した。
この研究テーマは、純粋に量子効果によって得られるものであり、
グラファイトの電子状態の特殊性を反映したものであると考えられ
る。本研究では、グラファイトの電子状態の特殊性を有効に利用し
て新機能をそこに見出すことを研究の目的としている。
6.4.1 グラファイト微結晶での Li の過剰吸着機構
グラファイト微結晶での Li の過剰吸着機構について 報告した(本報告書の論文参照)。報告では半経験的量子化学計算 mopac93 をもちいて、炭素原子 96 個のクラスターに Li 原子をひ とつづつドープしてその構造の最適化と電子状態の計算を行った。 計算結果によると、グラファイト微結晶に 結合のダング リングボンドを持つ場合には、Li は共有結合(炭素原子は sp2 混成のまま)的にダングリングボンドを終端する。このグラファイ ト微結晶端につく Li の数は、第一ステージ・グラファイト層間化 合物の Li の吸着量比である C6Li より多く、過剰吸着する機 構の一つになっている。この機構は、負極にグラファイト電極をも つ Li イオン電池における最初の放電特性の性能を向上することに 寄与していると考えられる。しかしこの反応は結合エネルギーがグ ラファイト層間に付着するよりも 5eV ぐらい安定であり、非可逆 なものである。またこのダングリングボンドを終端した Li イオン のもつ電荷は +0.3 程度であり、第一ステージ・グラファイト層間 化合物の Li のイオンのもつ電荷 +0.6 より少ない。この点で、 ダングリングボンドを終端した Li イオンは、2次電池としての特 性として好ましいものではない。
一方黒鉛のダングリングボンドを水素終端させると、上記に説明し たような共有結合的な結合を作ることはない。この場合 Li 原子は 炭素原子と水素原子の作る平面構造から 1.83Å離れたところに 最適化構造をとり黒鉛層間化合物と同じようなイオン結合としてつ く可能性があることを見出した。このLi イオンのもつ電荷は +0.6 程度でありダングリングボンドに吸着した場合より多い。この結合 は、Li の 電荷がグラファイト微結晶の非結合性 バンドに 移動したことによっておこるイオン結合である。またこの結合の大 きさは、黒鉛層間化合物での Li イオンの安定エネルギー (eV) とほぼ同定度であり、この反応は黒鉛層間化合物での Li と 同様に非可逆であると考えられる。このことは水素終端されている グラファイト微結晶は水素終端されていクラスターと比べて 2 次 電池として性能が向上する事を示している。またこの性能は、グラ ファイト微結晶端の割合が相対的に多い小さい結晶半径の方が良い ことを示している。
重要な点は、グラファイト微結晶端に Li をつけると Li:C 比が第
一ステージ・グラファイト層間化合物の 1:6 より Li の量が増え
る点である。この効果は、グラファイト微結晶の一つの効果である
と考えられる。ここでグラファイト微結晶の過剰吸着の機構は次の
ような2点にまとめられる。まず第 1 点の機構は、端に Li が存在
する場合には、 Li イオン間の反発がクラスター外部からの斥力が
無い為グラファイト層間化合物よりも Li 間距離を小さくとること
ができる点にある。第 2 点の機構は、グラファイト微結晶端に局
在する電子状態は、グラファイト結晶の非結合性
バンドよ
りエネルギーが低いので、より多くの電荷移動を可能にする。但し
このグラファイト微結晶端に局在する電子状態は、微結晶端がいわ
ゆるジグザグ端でないとグラファイト微結晶端に局在する電子状態
を得ることはできない。しかし、クラスターが比較的丸い形状をと
る場合には、端の約半分はジグザグ端であることが期待されるので、
グラファイト微結晶端に局在する電子状態を電子を受容する機能を
十分期待できる。
6.4.2 グラファイト微結晶での F の吸着機構
次にアクセプター型の不純物である F をドープした系の電子状態 の計算を Mopac93 と Gaussian 94 (非経験的分子軌道計算ライブ ラリ) を用いて行なった。我々の興味は、榎教授グループによる F ドープグラファイトが大きなスピン磁化率を生じる実験事実にある。 ドナー型の黒鉛層間化合物が電荷移動に伴ってグラファイトにキャ リヤーが移動するだけではこのようなスピン磁化率が生じることは 考えられない。クラスター上に生じるスピン密度の計算は、 Hartree Fock 計算の段階ではまだ信頼のおける結果とはいえない。 なぜなら up spin と down spin の間の相関効果を正確に取り入れ ているとは言えないからである。従って現在この研究は信頼おける 結果を出す為の基礎的な計算を進行中であり、本報告以外には未発 表である。研究を続けて成果としたい。
計算では、炭素原子数 24 個のクラスターに F を付けて構造最適 化をおこなった。アクセプター型の不純物である F をドープした 系の最適構造は、ドナー型の Li 黒鉛層間化合物と異なる結果が 得られた(図 2)。ドナー型の黒鉛層間化合物の場合には、6 員環の 中心の上方にアルカリ金属が存在するのであるが、F の 場合には 炭素原子の真上に存在し、炭素原子は sp3 混成軌道の成分を持 つ。このために、シグマ骨格が非常に大きな変形を受ける(図2)。 これに対応してグラファイトの 電子系が大きな影響を受け る。特に フェルミエネルギー付近の電子は 局在することが見出さ れた。現在この局在長や、電荷移動の様子をクラスターサイズや、 結合する位置を変化させ系統的に調べ、不対スピンのクラスターお よびナノチューブ上での性質を調べているところである。
file=/home5/rsaito/eps/C24F1.eps,width=7cm
図2. C24F の最適構造。骨格の変形が見える。
F 原子は、グラファイト微結晶端につく場合には、水素がない場合 には、ダングリングボンドを終端する sp2 構造をとり、水素終 端されているグラファイト微結晶端につく場合には、端の炭素原子 が sp3 構造をとる。sp3 構造をとった場合でも端の炭素原 子はグラファイト平面からずれるような変形は取らないことがわかっ た。グラファイト から F に 電荷が移るがこの大きさは、最適化 構造に非常に依存して、-0.3 から -0.6 までばらついた値をとる。 F はこれで偶数電子になりスピンがなくなり、グラファイト上に スピン密度が発生する。スピン密度の大きさに関しては、現在の計 算では定量的に議論できないが、少なくても炭素原子 1 個あたり 0.2 以下であろうと考えられ、広くスピン密度が分布していると考 えられる。F を 2 個以上つけていった場合、一番安定な構造は、2 つの F が 最近接の炭素原子につく場合である。最近接の炭素原子 につく場合 F も最近接になり F 間の共有結合の得が考えられる。
以下に本研究の成果に関連する論文と掲載する。最初の carbon の
論文と、Tunneling conductance の 論文は、この科研費の研究に
着手する前の論文であるが、科研費の研究の進展に重要な問題提起
を与えてくれた論文であり、その後の若干の発展を含めて成果とし
て口頭で発表した。また 2 つの論文は総説として理解するのに役
にたつので掲載する。