本計画研究では、単層ナノチューブが集合し、固体相となった場合の物性について研究する。ここでは特に光吸収スペクトルや、共鳴ラマン散乱を測定することによりナノチューブ及びその固体相の電子状態について調べることを目的とする。
これまでの研究により、孤立状態でのナノチューブの電子的・振動的性質は、理論的にも実験的にも、基本的な部分はほぼ明らかになったと言える。しかし、実際のナノチューブのほとんどは、数本から数十本の束(bundle)を形成しており、また擬似的にこのbundleを成長させることも可能である。孤立チューブを巨大分子ととらえれば、bundleは結晶(固体)状態と考えることができる。フラーレンにおいて、固体相に超伝導やポリマー相など、物性や応用で広がりを見せたのと同様に、ナノチューブにおいても、固体相において物性の新展開が期待できる。
ここではまず、バンドルの効果について詳細に調べ、その後ドーピング等、固体相特有の現象について調べて行く予定である。具体的研究課題について以下に記す。
1.電子状態に及ぼす固体効果
図−1にナノチューブの光吸収スペクトルを示す。赤外域に特徴的に見られる吸収ピークは、1次元van Hove singularityにより発散した状態密度間の光学遷移と考えると、理論計算と良く一致する。もっとも低エネルギーのピークが半導体の第1ギャップ、次が半導体の第2ギャップ、3番目のピークが金属チューブの第1ギャップ間の光学遷移に対応する。生成温度を下げて、チューブの直径が細くなるに従って、光吸収のピークが高エネルギー側にシフトして行くのは、直径の減少に従いギャップが開いて行くからである。また、高温で作製した試料の方が金属チューブによる吸収が相対的に強くなっているように見える。ラマンスペクトルからも、それに対応して、(10,10)のピークが選択的に成長していることが見て取れる。
最近、Kwon等はナノチューブ間の相互作用により、金属チューブのフェルミエネルギー付近に擬ギャップが開くことを理論的に示したが、擬ギャップが開くと同時に、singularity による疑似gapも同程度広がることも示されている。この効果は、bundleの状態に依存して変化する。つまり、bundleが細い場合や、直径の幅広い分布により格子が乱れている場合には、bundleの効果が小さくなり、bundleが太く直径もそろっている場合にはbundleの効果が大きくなると考えられる。またチューブ自身の対称性と、三角格子の対称性が一致しない場合、チューブ間の相対位置に揺らぎが生じ、温度によりチューブ間の相対位置に変化が現れ、bundleの効果が変化する可能性もある。このようなbundleの制御により光吸収スペクトルがどのように変化するかを調べることにより、bundleの電子状態へ及ぼす効果を調べることが可能である。また、遠赤外域には、擬ギャップに由来する吸収構造が直接観測される可能性もある。さらに、これまでに我々は、ラマン散乱の強度が光吸収の強さに従って変化することを示しており、共鳴ラマン散乱の広範囲な測定により、個々のチューブ別に分別したより詳細な議論が可能となる。両測定を組み合わせて、バンドルの効果について詳しく調べる予定である。
図−1 レーザー蒸発法で作製した単層カーボンナノチューブの光吸収スペクトル。0.55, 0.9 eV付近に観測される鋭い吸収ピークは、基板の吸収である。温度は、生成温度を示す。バックグラウンドは差し引いてある。
2.ナノチューブの制御技術
上記の目的を達するには、bundleや直径を制御した良質の試料の準備が不可欠である。これについては、同じ都立大の阿知波・鈴木グループとの共同研究により、ナノチューブ生成の制御をすでにある程度達成している。触媒や、生成法(レーザー蒸発法・アーク放電法等)、及び各種パラメータの制御により、チューブの直径、bundleの太さ等を制御することが可能である。図−2に異なった触媒によるナノチューブの走査型電子顕微鏡写真を示す。触媒により、bundleの太さが変化して行くのがわかる。これらの試料を用いて、bundleの効果について調べるとともに、この制御技術をさらに発展させることも、目的の一つとする。なお、ごく最近、NiCo触媒を上回る非常に高い収率でナノチューブが生成できる触媒・生成法を新たに発見した。チューブの直径分布は全く同じである。これについては、近く報告できる予定である。
これら、ナノチューブの制御技術の研究は、生成機構解明の研究でもある。阿知波・鈴木グループとの共同研究では、フラーレンとナノチューブの生成を統一的に理解しうる機構について研究を進めており、期間内にある程度の結論を得たいと考えている。
図−2 各種触媒・製法による単層チューブの走査型電子顕微鏡写真。触媒は上から順に、NiCo, RhPt, NiYである。撮影は名城大、安藤先生のご厚意による。
固体効果を見る上で、非常に良い対照物質となるのが多層ナノチューブである。通常の多層ナノチューブの場合、直径が非常に太いため、光学的に興味深い挙動はほとんど観測されないが、名城大の安藤グループの作成する多層チューブは、非常に細いコアチューブを持つため、一部単層ナノチューブと類似のラマンスペクトルを示す。この共鳴効果を詳細に調べることにより、多層チューブの内部に存在するチューブの電子・振動状態に関する知見が得られる。これにより、多層チューブの層間の相互作用について議論したい。また、多層チューブはbundleを形成していないことから、基本的に孤立チューブの特性を持っていると考えられ、この結果と単層チューブの結果を比較することにより、単層チューブにおけるbundleの効果についても議論できると考えている。
4.単層チューブへのドーピング効果
固体相固有の現象として、ドーピングがあげられる。すでにいくつかの結果が報告されているが、光物性の立場から詳細な議論をしたものはない。通常、ドーピングによる電荷移動量は、ラマンピークのシフト量に反映されると考えられているが、単層チューブの場合は注意が必要である。単層チューブの場合、ラマンスペクトルは共鳴効果が支配的で、ドーピングにより電子状態が変化すれば、それによりラマンスペクトルも変化するからである。むしろ、電荷移動によりフェルミレベルが変化すれば、もっとダイレクトに、光吸収に変化が現れるはずである。いくつかのドーパントに対して、光吸収の変化を調べれば、電荷移動に関する直接的な情報を得ることが可能である。そこで、ドーピング効果について、光吸収・共鳴ラマン散乱を用いて調べる予定である。すでにある程度予備実験を行っており、相応の結果も得ている。
ドーピング効果にはもう一点、興味深い部分がある。ドーピングは固体相固有の現象であるから、3本以上の束が必要で、孤立チューブにはドーピングが起こらない。NiY触媒を使ってアークで作製した試料は、bundleが細く、また孤立したチューブもかなり混在している。ここにハロゲンガスを導入し、その後真空排気することにより、孤立チューブのみがドープされない状態で残ることになる。その様子を図−3に模式的に示す。臭素ドープの場合、電荷移動によりbreathing modeが大きくシフトするとともに、電子状態が大きく変化するため、通常の共鳴効果が得られなくなることがこれまでにわかっている。従って、この状態の試料の共鳴ラマンを測定すれば、ドープされていないチューブ、すなわち孤立チューブの共鳴ラマン散乱を選択的に測定したことになり、孤立チューブの電子状態を知ることが期待出来る。この測定も精力的に行いたい。
図−3 臭素ドープ後真空排気した場合の模式図
現在、紫外光電子分光装置の立ち上げを行っており、平成11年度中には、稼働状態になると予定している。この装置を用いて、ナノチューブの光電子分光を測定する予定である。先に述べたように、我々は精製の不要な高純度の試料を作製する手法をすでに発見しており、また、試料を空気にさらさずに、試料室に導入することも検討中である。これにより、これまでほとんど報告のない光電子分光の測定が可能になると考えられる。