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科研費特定領域研究(A)
フラーレン・ナノチューブネットワーク
ニュースレター Vol.2, No.1 (1999) pp.19-20

フラーレン生成に関与する炭素クラスターの分光研究

京都大学・大学院理学研究科
代表者 若林知成
分担者 百瀬孝昌


 フラーレンの大量合成から9年が経過した。C60が安定分子であることは衆知の事実となったが、その生成機構についてはいまだにコンセンサスが得られない。その理由の一つは生成過程に関与する反応中間体の実験情報が不足しているためである。本研究では、フラーレン生成に関与する炭素クラスターの分光情報の収集と解析を行う。特にこれまで未知とされてきた環状炭素クラスターの電子スペクトルの観測と帰属を重点的に行う。

 フラーレン成長機構を議論する際、多くの場合、直鎖構造のクラスターがその構成単位と考えられてきた。一方、代表者らは1992年以降一貫して環状構造のクラスターの重要性を主張してきた。環状炭素クラスターのフラーレン成長機構における役割がこれまで過小評価されてきた背景には、その分光情報の不足が挙げられる。その原因の一つが不適切な測定手段にある。環状クラスターの赤外吸収強度が直鎖のものに比べて一桁以上小さいにもかかわらず、過去に直鎖状クラスターで成功した手法をそのまま環状クラスターに持ち込もうとしたところに限界があった。本研究では、環状炭素クラスターのπ電子系に着目し、その電子スペクトル(紫外吸収帯)の観測と帰属を試みる。予想される電子遷移のうち紫外領域にあらわれる許容遷移は、遷移強度がリングサイズに比例して大きくなるといわれており、この遷移の観測が大型の環状クラスターの研究に有利であると考えられる。

 環状炭素クラスターの電子遷移にはつぎのような特徴が予想される。
(1)遷移エネルギーが、リングサイズの増加とともに系統的に小さくなる。
(2)遷移にともなう振動励起の振動数がリングサイズとともに系統的に変化する。
第一点は、初等的な一次元ポテンシャル中の自由電子の考察などから予想される。もし複数の吸収帯が等波長間隔であらわれれば、その一連の吸収帯がサイズの異なる環状クラスターの吸収帯に帰属できる。第二点は、電子相関を取り入れた量子化学計算などから予想される。もし各吸収帯にあらわれる振動構造の振動数が予想されるリングサイズに反比例すれば、その振動構造を環状クラスターの全対称伸縮振動(breathing mode)に帰属できる。

 マトリックス分離分光法は1960年代以降、炭素クラスターの研究において重要な位置を占める。Kr閣schmerらが1985年に発表した、アルゴンマトリックス中の炭素クラスターの紫外可視吸収スペクトルは、炭素蒸気中に多数のクラスター成分が含まれることを示唆した。1990年代前半には質量選別法とマトリックス単離分光法を組み合わせた研究により、紫外領域の吸収帯のうち約半数が直鎖構造の炭素クラスターに帰属された。しかし残る半数の吸収帯の帰属についてはいまだに推測の域をでない。これらの吸収帯の帰属の重要性は、それが炭素蒸気の反応を議論する際の出発点となるところにある。例としてネオンマトリックス中に補足した炭素蒸気の吸収スペクトルを図に示すが、図中で最も強い吸収帯の帰属が依然あいまいであり、この吸収帯の帰属如何によってはフラーレン成長機構のみならず、宇宙空間における分子進化の定説さえもくつがえすほどのインパクトがあると考えられる。

 最近われわれが行った質量分析による研究では、環状構造のC10が炭素蒸気中に多量に存在することが示唆されており、マトリックス中の吸収スペクトルにもこれに対応する強い電子吸収帯の観測が期待される。しかし現時点で得られるスペクトル(図)は種々の炭素クラスターの混合物によるスペクトルであるため、各吸収帯とそれに対応する炭素クラスターのサイズとを1対1で対応させることが難しい。そこで本研究では、すでに開発済みのマトリックス単離分光システムに新たに質量選別器を組み合わせることにより、各吸収帯に寄与する炭素クラスターのサイズの決定に重点をおいた研究を展開する。

図.ネオンマトリックス中の炭素クラスターの吸収スペクトル(矢印は未同定吸収帯).



Tomonari Wakabayashi
2000-01-06