next up previous


科研費特定領域研究(A)
フラーレンナノチューブネットワーク
ニュースレター No.1 (1999) pp.33-35

精密レーザー分光による単層カーボンナノチューブの 電子状態と非線形光学特性の研究

名古屋大学・理工科学総合研究センター
市 田 正 夫
濱 中 泰

研究目的

単層で径のそろったナノチューブを大量に作ることが出来るように なってから、その物性測定が精力的に行われている。 理論的研究では、単層カーボンナノチューブは一次元的な状態密度を持ち、 その構造(カイラリティー)により、金属的や半導体的な電子状態を示すことが 予想されている。 実験的には、共鳴ラマン散乱やSTMの測定により、特定の単層ナノチューブの フォノン構造やバンド構造の研究が進められている。 しかし、単層ナノチューブの光学応答やバンド構造の詳細、さらに励起子効果に ついては、十分な研究は行われておらず、まだほとんど分かっていない。 理想的な一次元電子系では、 バンド端における状態密度が発散するが、 現実の系は横方向にも拡がりを持つ擬一次元であり、この様な発散は 押さえられるが、最低状態の励起子は大きな結合エネルギーを持ち、 その振動子強度が異常に増大することが期待される。 したがって、単層ナノチューブのような一次元系では 励起子が光学応答を支配すると考えられ、励起子効果を研究することは重要である。

本研究の目的は、精密レーザー分光により、単層カーボンナノチューブの 電子状態を 調べるとともに、光学非線形性を評価し、赤外領域の非線形光学材料としての 可能性をさぐることである。 具体的には、以下のようなことを考えている。

  1. 単層カーボンナノチューブの薄膜について、 精密レーザー分光を行い、単一の直径およびカイラリティーの 単層カーボンナノチューブの電子状態と励起子効果を調べる。
  2. 赤外領域のフェムト秒ポンププローブ分光法により、 一次元系での電子-正孔対および励起子の緩和ダイナミクスを調べ る。
  3. 赤外領域の非線形光学材料として、 単層カーボンナノチューブの評価をおこなう。

単層カーボンナノチューブの光学スペクトル

図1は、Ni/Y触媒のカーボンロッドからアーク放電により作製された 単層カーボンナノチューブ薄膜試料の光吸収スペクトルである。 ナノチューブは三重大の斎藤グループにより作製されたものを提供していただいた。


図1: 単層カーボンナノチューブの吸収スペクトル。 赤破線は(1)式から計算された 試料の結合状態密度に青点線で示されるベースラインを加えたもの。



ナノチューブを含んだススをトルエン中に分散させ、それを 石英基板に滴下し、トルエンを自然蒸発させることにより薄膜試料を得た。 吸収スペクトルには、ナノチューブによると見られる吸収帯が、 0.7eVおよび1.2eVに観測される。 これまでに、都立大の片浦により、これらのピークは、半導体的なチューブの 第一ギャップおよび第二ギャップによるギャップ間の光学吸収であると 同定されている[1]。 しかし、物性研の安藤によれば、現実のカーボンナノチューブでは、光学スペクトルには、 クーロン相互作用の効果が重要であり、励起子による吸収帯が現れることを 指摘している[2]。 これらのことを詳細に調べるために、ナノチューブ試料の直径分布を考慮した 結合状態密度を計算し、実験との比較を行った。 図2の挿入図は、この試料の直径分布である。 この試料中のナノチューブの平均直径は1.34 nm、標準偏差は0.13 nmであった。 この分布関数をN(d)とし、個々のチューブの状態密度をρ(n1,n2)(E) とすれば、直径dはカイラリティー(n1,n2)の関数だから、試料全体の平均的な 状態密度は、
  D(E) ∝ Σ(n1,n2)N(d(n1,n2))ρ(n1,n2)(E)       (1)
と書くことができる。これを計算したものを、図2に示す。 一次元系特有の状態密度の発散は見られるが、直径分布のために そのエネルギーはぼけている。 図中の矢印A,B,Cはそれぞれ、半導体チューブの第一ギャップ、第二ギャップ、 および、金属チューブの第一ギャップのギャップ間遷移に対応している。 この結果を、実験結果と比較するためには、最近接炭素原子間の重なり積分 γ0の値を決めなければならない。

図2: 直径分布を考慮した単層カーボンナノチューブ試料の状態密度。 挿入図は試料の直径分布である。



最近、安藤によって、クーロン相互作用を取り込んだ単層カーボンナノチューブの 光吸収スペクトルが計算されている[2]。 半導体チューブでは、電子間のクーロン相互作用により、ギャップのエネルギーが 大きくなるとともに、励起子束縛状態が現れる。 この励起子状態の遷移エネルギーは、ギャップエネルギーが大きくなるため、 非摂動系のギャップエネルギーに対して、高エネルギー側に位置する。 一方、第二ギャップのエネルギーも第一ギャップと同様に大きくなるが、 励起子形成によるエネルギーの低下分でキャンセルし、結果として、 観測される吸収ピークのエネルギー位置(これは励起子によるものであるが)は 非摂動系のギャップ間遷移のエネルギーとほぼ同じになる。 このことを考慮して、1.2eV付近に観測された吸収バンドが、計算と一致するように γ0を決定すれば、その値は非摂動系の値であるといえる。 このようにしてフィッティングされたスペクトルを図1の破線に示した。 γ0=2.75±0.05 eVとしたときに、 1.2eVの吸収帯の形状を良く再現することがわかった。 計算では個々のナノチューブによる遷移のピークが細かい構造となって現れているが、 測定温度(室温)による均一幅やナノチューブの不均一性によりスペクトルにボケが生じ、 吸収スペクトルにこのような細かな構造が現れなかったものと考えられる。 一方、低エネルギー側の0.7eV付近に観測される吸収ピークは、 計算に比べておよそ0.1eV高エネルギー側に位置している。 先に述べたように、安藤の計算によれば、クーロン相互作用を考慮すれば、 非摂動系の最低バンド間遷移の高エネルギー側に励起子による吸収帯が 現れることが予想されているが、我々の実験結果はまさにこのことを示していると 期待される。

今後の予定

単層カーボンナノチューブ試料の精密レーザー分光
単層カーボンナノチューブ試料の吸収スペクトルの解析からは、 擬一次元系であるナノチューブの光学遷移に対する励起子効果の重要性を 示唆する結果が得られている。 しかし、 実際の試料には様々な直径とカイラリティーを持つナノチューブが 存在し、電子準位が不均一に拡がっている。 通常の吸収分光では、その平均的な構造しか見ることができず、 より詳細な議論を行うためには、単一の直径、カイラリティーを 持つチューブの光学遷移を調べる必要がある。 そこで、 単色の強いレーザーを試料に照射し、特定のカーボンナノチューブを励起して、 そのチューブに誘起される吸収スペクトルの変化を試料の吸収スペクトルの 変化として測定することにより、 単一のカーボンナノチューブを選択分光することを試みる。

擬一次元電子・励起子の緩和ダイナミクス
一次元系での電子-正孔対および励起子の緩和ダイナミクスの研究を行う系としては、 単層カーボンナノチューブは理想的な系であると考えられる。 一般に、固体中の励起状態の緩和はピコ秒やフェムト秒領域で起こるので、 その現象を測定するためには、フェムト秒ポンプ・プローブ分光法 (フラッシュフォトリシス法)が強力な武器となる。 しかし、これまでは、検出器および光源の制限により、この種の測定は 可視領域に限られていた。 単層カーボンナノチューブの吸収帯は赤外領域に存在するので、 既存のシステムでは測定が難しい。 現在我々のグループでは、赤外領域のフェムト秒ポンプ・プローブ分光システムを 準備中であり、このシステムはナノチューブに適用可能であると考えている。

光学非線形性の評価
カーボンナノチューブの光学非線形性の研究は、 これまでに、Margulisらによる3次の非線形光学応答の計算[3]をはじめ、 理論的研究は幾つかあるが、実験的にはほとんど行われていない。 ナノチューブ特有の状態密度の発散や、一次元励起子形成による 振動子強度の集中は、いずれも、大きな非線形光学特性を発現することを期待させる。 そこで、我々は、 縮退四光波混合法やZ-Scan法により3次の非線形感受率χ(3)を 測定し、単層カーボンナノチューブの光学非線形性の評価を行うことを予定している。

[1] H. Kataura, Y. Kumazawa, Y. Maniwa, I. Umezu, S. Suzuki, Y. Ohtsuka and Y. Achiba: Synth. Met., Vol.103, 2555 (1999).
[2] T. Ando: J. Phys. Soc. Jpn., Vol.66, 1066 (1997).
[3] V. A. Margulis and T. A. Sizikova: Physica B, Vol.245, 173 (1998).

(*) 本研究の一部は、論文として以下に報告済みである。
M. Ichida, S. Mizuno, Y. Tani, Y. Saito, and A. Nakamura: J. Phys. Soc. Jpn., Vol.68, 3131 (1999).



ichida@cirse.nagoya-u.ac.jp
2000-02-21