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科研費特定領域研究(A)
フラーレン・ナノチューブネットワーク
ニュースレター Vol.2, No.3 (2000) p.1

 

大学人と雇われ研究

                  壽榮松 宏仁

                  (東京大学理学系研究科)

 

  近年、多くの分野、特に我々に近い領域で、巨大な科学プロジェクトが進められ、これに多くの大学人が動員され、組み込まれている。例えば、宇宙、核融合、加速器、地震予知、地球科学、生命科学などの国家的プロジェクトが、科学技術庁、通産省、農林水産省、厚生省等の主導のもとに、大々的に展開されている。これらのプロジェクトでは、各省庁が設備と研究経費を提供し、人材は、大学教員およびポスドクによって支えられている構図が出来あがりつつある。多くの大学教官は、自分自身の研究が遂行できることをメリットに、これらの計画に参加し、研究業績をあげる。一方、主宰の官庁は、大学人のこれら業績を独自の成果として評価し、プロジェクトの成功を唱いあげる。

  何か、不自然な、歪んだ構図を感じざるを得ない。

プロジェクトにおける主宰官庁の役割は、最初と最後、すなわち、研究の企画と予算化と、研究業績の評価にあり、最も重要な研究活動自身は大学人のアイデアと人材に頼っているのではないだろうか。どうも不可解なのは、このいわば「雇われ研究」制度についてである。

  我々の仲間には、自分の研究の遂行のためには、無節操を顧みない人たちがいる。自分の給与が、どこから、どんな業務の代償として支給されているのかさえ、考えていない。この個人レベルでの無節操も問題であるが、「雇われ研究」制度を容認している大学および文部省も本来の雇用者として責任を担うべきであろう。今後行われる「大学の評価」では、これらの「雇われ研究」は大学の業績として評価されないのは明らかであろう。成果の帰属や大学のアカウタビリティに関わる問題であり、個人の学術研究の自由の制限とは異なる。

  もう一つの心配は、科学プロジェクトの運営組織であり、研究活動が大学教官の現場での重要な寄与に依っているにも拘わらず、彼等から懸け離れた組織体で運営されることである。研究活動が、大学人や大学のイニシアチブから離れ、制限されることが心配される。早晩、大学の教育システムを歪め、大学の疲弊をもたらすことになるであろう。

  少々、場違いな議論となったことをお詫びしたいが、昨今の国立大学の存続の議論(影響はいずれ、すべての大学に及ぶであろう)に関連し、「大学が基礎科学の研究を停止した事態」を危惧して小文を寄稿したことをご理解いただきたい。