名古屋大学大学院理学研究科 吉岡英生
(Email : h4470a @nucc.cc.nagoya-u.ac.jp)
私は1997年10月1日から1998年7月31日まで文部省在外研究員として十ヵ月間、その後1999年2月中旬から一ヵ月間余りオランダのデルフト工科大学に滞在し、カーボンナノチューブの研究を行ってきました。ニュースレター編集部のお勧めでデルフトの町とデルフト工科大学の簡単な紹介を致します。
デルフトはオランダ南西にある小さな町で、スキーポール空港からおよそ電車で40,50分のところにあります。ちなみにシーボルトやカマリングオンネスで有名なライデン大学のあるライデンはスキポール空港とデルフトの間にあり、デルフトからは電車で15分くらいです。デルフトはデルフト焼きという陶器が有名で、夏にはちらほら観光客も見掛けます。オランダの公用語はもちろんオランダ語ですが、小学生から英語を学んでいるので、ほとんど全ての人が英語を喋ることができます。したがって、市役所や警察での手続き、町中での買物等で言葉が通じなくて困るということはありません(しかし、三ヵ月以上オランダに滞在する場合には警察で住民登録をする必要がありますが、そこではトラブル続きでした。他の日本人に聞いてみると、みんなその洗礼を受けているようです)。もちろん表示はすべてオランダ語ですが。
デルフト工科大学にも少人数の日本人が滞在しています。オランダはその地形のため土木技術が進歩している(らしい)ので土木関係の学部に滞在している人が多いのですが、メソスコピック系が有名なので物理関係の人もいます。毎年NTTからは何人かの人が来られているようです。また、オランダの男性と結婚された日本人女性も何人かおられます。そのような人達によって構成されている「デルフト日本人会」があり、2、3ヵ月に一度集まって食事をしたりしていました。デルフト工科大学には、海外からのビジターの家族用のプログラム「International
Neighboring Group (ING)」があり、英会話、オランダ語会話、料理、ハンディクラフトの教室などが開かれていました。また、遠足、クリスマスパーティ等の行事もありました。妻はそこで何人も日本人以外の友達を見つけてデルフトでの生活を楽しんでいたようです。
私はデルフト工科大学で物性理論の研究グループにいました。そのグループの主な研究テーマは半導体を対象としたメソスコピック系の輸送現象ですが、私が日本で(擬)一次元電子系の研究を行っていたことから、理論グループのボスのGerrit E. W.
Bauerさんにすすめられ、カーボンナノチューブの研究を始めるとともに、理論グループのArkadi A.
OdintosovさんといっしょにCees Dekkerさんの実験グループとのミーティングに参加するようになりました。ご存知のことであると思いますが、Delftの実験グループの論文Nature 386
(1997) 474--477の中のナノチューブが白金電極の上に乗っている写真はNatureの表紙にもなりました。そのNatureの表紙は引き延ばされて物理の建物の入口に架けられていました。
そのうち、Odintosovさんが約二ヵ月間NTTに行ったため、一人でミーティングに参加するようになりました。ミーティングは週に一度水曜日の午後に開かれていました。論文紹介と研究の進行状況を話すのが各週で行われていました。デルフトに行くまでは、カーボンナノチューブの事は殆んど知らなかったので、そのミーティングでDekkerさんをはじめとする実験家にいろいろ教わりました。ただ、二週に一度の研究の進行状況を話すのは、始めの頃は結果も出ていなかったため、苦痛でした。そうこうしている内に、Odintosovさんが帰国し、彼と議論をしていくつか仕事がまとまって来た頃、一度目の帰国になってしまいました。帰国の直前にBauerさんから、「もう一度来ないか?」というお誘いを頂いたので、授業がなくなる2月の中旬から学会直前までお世話になることになりました。
その他、修士論文で審査員をやったり、Sander J. Tansさんの学位論文発表の儀式?に立ち会う事ができ、日本との違いを痛感したこともありましたが、割愛させて頂きます。駆け足の簡単な紹介になってしまったので皆様にとって有益な情報になったかどうか、また、記憶を辿って書いたのですべて正確な情報かどうか自信がありません。拙文で申し訳ありません。