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The GNU Manifesto

What's GNU? Gnu's Not Unix!

GNUはGnu's Not Unixの略であり,私が書いている完全Unixコンパチブルのソフ トウェア・システムの名称で,これを使用することのできるすべての人に無料で 提供することができます.他の何人かのボランティアの人達が私を手伝ってくれ ています.時間,お金,プログラム,マシンの面で多くの支援が必要となってい ます.

これまでのところ我々が作ったのは,Emacsテキストエディタとその編集コマン ドを書くためのLisp,ソースレベルデバッガ,yaccとコンパチブルなパーサジェ ネレータ,リンカおよび約35のユーティリティです.シェル(コマンド・インター プリタ)はほぼ完成しました.新しい移植可能最適化Cコンパイラは自分自身をコ ンパイルできるようになりました.今年中には公開できるでしょう.カーネルの 初版はできましたが,Unixをエミュレートするためにはもっと多くの機能が必要 です.カーネルとコンパイラが完成したらプログラム開発に適したGNUシステム を配布できるでしょう.我々はテキストフォーマッタにはTeXを使うつもりで すが,nroffも使えます.また同様に無料でポータビリティのあるXウィンドウシ ステムを使うつもりです.このあとは,ポータブルCommon Lisp,Empireゲーム, スプレッドシート,その他モロモロ,それとオンラインドキュメンテーションな どを追加していくつもりです.我々は時時に応じて通常Unixシステムについてく るあらゆる有益なもの,さらにはそれ以上のものを提供していきたいと考えてい ます.

GNUはUnixのプログラムを実行できるようにする予定ですが,Unixと同一にはな らないでしょう.我々は他のオペレーティング・システムに関する経験に基づい て,より便利になるように改善を加えていくつもりです.特により長いファイル 名の使用,ファイルのバージョン番号,クラッシュしても大丈夫なファイル・シ ステム,ファイル名の補間機能(たぶん),端末に依存しないディスプレイのサポー ト,いくつかのLispプログラムと通常のUnixプログラムが同一画面を共有できる ような(たぶん)Lispベースのウィンドウシステムなどを作る予定です.システム・ プログラミング言語としてはCもLispも使用可能です.UUCP,MIT Chaosnet, Internetなどのコミュニケーション・プロトコルもサポートしようと考えていま す.

GNUは仮想メモリのついた68000/16000クラスのマシンを意識しています.という のはGNUを動作させるのにもっとも簡単なマシンだからです.これをもっと小さ いマシン上で動作させるための努力は,そのマシンの上で使用したい人達の手に 委ねられています.

混同しないように,`GNU'がこのプロジェクトの名前であるときには,その中の `G'を発音してください.

どうしてGNUを書かねばならないか

己の欲するところを他の人になせという黄金律は,あるプログラムが気に入っ たら,それをやはり気に入っている他の人とわかち合うことを要求します.ソフ トウェアの販売者は個々の利用者がソフトを他の人々と共有することを禁じ,利 用者を分割します.このようにして他の利用者との関係を壊すことに私は反対し ます.ソフトウェアの中身を明らかにしないという協定や,ソフトウェア・ライ センスについての協定には賛同できません.何年もの間,私はArtificial Intelligence Labの中でこういった傾向や人々の冷遇に抵抗してきましたが,彼 らはあまりにも遠い存在になってしまいました.私の意図に反して,そういった ことがらが,私に対してされることに黙っていることはできません.

私は屈辱を受けずにコンピュータを使っていけるように,有料のソフトウェアが なくても十分にやっていけるだけの,無料のソフトウェアをひとそろい提供しよ うと決意しました.私はGNUを送り出すのを防ぐためのMITの合法的ないいわけを 拒否して,AI研究所を辞任しました.

どうしてGNUはUnixとコンパチブルなのか

Unixは私の理想とするシステムではありませんが,それほど悪いシステムでもあ りません.Unixの基本的なとくちょうはよいものなので,それを捨て去らないで Unixに欠けているところを満たしていけるだろうと考えました.また,Unixとコ ンパチブルなシステムであれば他の人も採用しやすいでしょう.

GNUはどのようにして手に入るか

GNUは著作権が消滅した状態(パブリックドメイン)にあるわけではありません. だれもがGNUを修正し再配布できますが,配布する人はさらにそのGNUが再配布さ れることを決して制限してはいけません.ということは,所有権の変更は許され ないということです.GNUのすべてのバージョンが必ず無料であり続けてほしい と考えています.

どうして他の多くのプログラマが協力してくれるか

私は他の多くのプログラマ達がGNUに熱狂し,協力したがっていることを知りま した.

多くのプログラマはシステム・ソフトウェアの商業化のおかげで不幸になってい ます.お金を作るにはいいかも知れませんが,他のプログラマが味方というより も敵に見えるようになります.プログラマ間の友情を示す基本的な行為はプログ ラムの共有でしょう.現在の市場の取り決めは,プログラマが他のプログラマを 友人と考えることを根本的に禁じてしまっています.ソフトウェアの購入者は友 情をとるか法律に従うかの選択をしなくてはなりません.当然,友情の方がより 重要だと考える人が多いでしょう.しかし,法律を信じている人達はいずれの選 択にも満足しないことが多いでしょう.そのような人達は冷笑的に,プログラム を作ることはお金を作る方法にすぎないと考えることでしょう.

所有権のあるプログラムではなくGNUを使って作業することにより,法律を守り ながら誰に対しても親切に対処できるようになるでしょう.さらに,GNUは他の 人達が我々とプログラムを共有することに参加する気を起こさせる1つの例であ り,またそのような人を集めるための旗印となります.これにより,有料のソフ トウェアを使用していては感じられない"一体感"が味わえます.私が話しをし たプログラマの約半分は,これはお金に代えられない幸福だと考えています.

あなたはどのようにして貢献できるか

私はコンピュータの製造業者にはマシンとお金の寄付を求めています.個人に対 してはプログラムと作業の寄与を求めています.

マシンを寄付していただければ,その見返りの1つとしてGNUができる限り早い時 期にそのマシン上で走るようになるでしょう.マシンは完全でシステムが使える 状況にあり,普通の住いで使用可能で,特別な冷却や電力を必要としないもので あってください.

私は非常に多くのプログラマがGNUのためにパートタイムで作業したいと考えて いることを知りました.大部分のプロジェクトに関してはそういったパートタイ ムの作業をまとめていくのは困難でしょう.別個に書き上げたプログラムが合わ さると動作しないこともあるでしょう.Unixを置き換えるという特定の作業につ いては,この問題はありません.完全なUnixシステムは何百ものユーティリティ に対する完全に互換性のあるソフトを書いて,それをUnixシステム上の元のソフ トの代わりに置いても正しく動作するようにすれば,これらのユーティリティは まとめても正しく動作するでしょう.Murphyの例のように,いくつかの予期せぬ 問題を生じることがあっても,これらの構成要素をまとめるのはそれほど難しく はありません.(カーネルはより緊密なコミュニケーションが必要なので,小さ く密接に結び付いたグループが作業します.)

お金の寄付を受けたときには,フルタイムかパートタイムで何人か人を雇えるで しょう.収入はプログラマの標準収入からいうと高くはありませんが,私は共同 体精神を作っていくことがお金を作るのと同程度に重要だと考えている人達を探 しています.収入は,手伝っていただく人々が他の方法で生計を立てるためにエ ネルギーを割くことなく,自己の全エネルギーをGNUの作業に捧げられるように するための1つの手段であると考えています.

どうしてすべてのコンピュータ利用者が恩恵を受けるのか

GNUが完成したら,誰もが優れたシステムソフトを空気のように無料で使うこと ができるようになります.

これは誰もがUnixのライセンスの価格を払わなくてもすむというだけではありま せん.システムプログラムを二重に作成するという非常に時間のかかる無駄が避 けられることを意味します.そのための努力は,最新の技術の進展に振り向ける ことができるでしょう.

誰でもシステムの完全なソースが使用できます.そのため利用者は自分で自由に システムに変更を加えることができますし,また,プログラマや会社を雇って書 き換えさせることもできます.利用者は,もはやソースを握っていて変更を行な うことのできる独占的なプログラマや,会社のなすがままではないのです.

学校はすべての学生がシステムコードを学習し,改良するためのよりよい教育環 境を提供できるでしょう.ハーバードのコンピュータ研究所は,ソースが見られ ないようなプログラムは一切システムにインストールしないという方針を掲げ, それを守り続けてきました.実際に,あるプログラムをインストールすることを 拒否したこともありました.私はこれによって大いに勇気づけられました.

最後にこのシステムソフトウェアを誰が所有しているのか,それを使ってやって もよいこととやってはいけないことについて述べましょう.

プログラムを使用することに対し,人々にお金を支払わせるようにするためには (コピーのライセンスも含めて),通常,社会的に非常に大きなコストを必要とし ます.使用者がいくら支払わねばならないかを計算するのに繁雑な手続きが必要 となるからです.そして,警察国家だけが,すべての人々にそれに従うように強 制することができるのです.たとえば,空気を製造するために大きなコストのか かる宇宙ステーションのことを考えてみてください.空気1リットルにつき一定 の値段で,それを吸う人に対して料金を課すのは公平かも知れません.しかしお 金を払えたとしても,メーター付きガスマスクを昼も夜も付けさせられるのは耐 えられないでしょう.そして,人々がガスマスクを外しはしないかとTVカメラが どこでも見張っているなどというのは,まったく馬鹿げているでしょう.むしろ, 空気のプラントのために,一人当たりいくらかの税金を納めることとし,マスク など捨ててしまうほうがよいでしょう.

プログラムの全体または一部分のコピーをすることは,プログラマにとっては, 息をするのと同様に自然なことであり,生産的なものなのです.ですからそれは 無料であるべきなのです.

GNUの目標に対する異議とその反論

"もし無料だと誰もそれを使用できないことになる.なぜならば,無料というこ とはサポートをあてにできないということになるからだ"

"サポート料のためにプログラムに料金を課す必要がある"

もし人々がサービスなしの無料GNUよりもサービス付きの有料GNUのほうを好むと 考えるなら,無料のGNUを使っている人々を対象として,サービスだけを提供す る会社がもうかるはずです.

我々は実際のプログラミング作業の形へのサポートと,単なる指導・援助のサポー トとを区別しなくてはなりません.前者は,ソフトウェア業者からのサポートを あてにできない種類のものです.もしある利用者のプログラムが十分多くの人々 の間で使われていない場合には,ソフトウェア業者はその利用者に"`どうしよ うもない"と告げるでしょう.

もしあなたのビジネスが,サポートを頼りにする必要があるなら,唯一の手段は, すべての必要なソースとツールとを自分でもつことです.そうすれば,誰でも人 を雇って直してもらうことができます.あなたはもう,他の人のなすがままにさ れる必要はありません.Unixを使っている場合にはソースが高いので,たいてい のビジネスに対しこのようなことはできないでしょう.GNUではこれは容易です. 今のところ,有能な人材が不足していることが問題ですが,これはソフトウェア の配布に責任を押しつけるべき問題ではないでしょう.GNUは世の中のすべての 問題を除去するものではありません.その一部を除去するだけなのです.

しばらくの間,コンピュータに付いて何も知らない利用者のためには指導・援助 が必要です.つまり自分で容易に処置できる内容だが,まだどうやればできるの かを知らない場合に,それを代行するサービスです.

そのようなサービスは単なる指導・援助や修繕サービスだけを売っている会社か ら受けられます.お金を払ってもサービス付きの製品を購入するほうがよいと考 える利用者は,無料の製品へのサービスにも喜んでお金を払いたいと思うでしょ う.サービス会社は質の面でも価格の面でも競争するでしょう.何も一つのサー ビス会社ばかりにまかせる必要はないわけですから.一方,サービスを必要とし ない,我々のような人間は,サービス料を払わずにプログラムを使用できる状況 を作っていかなければなりません.

"広告なしに大勢の人達に行きわたるのは無理だ.したがって,その費用のため にもプログラムに料金を課す必要がある"

"ただで購入できるプログラムを広告してもしかたがない"

GNUのようなものを,数多くの利用者に知らせるために使用することのできる, きわめて安価な,あるいは無料の手段がいろいろとあります.しかし,広告すれ ばもっと多くのマイクロコンピュータの利用者にいきわたるというのも真実かも 知れません.もしこれが本当なら,お金をとってGNUをコピーしたりメイルで送っ たりするサービスを広告するビジネスは,その広告料を補ってあまりあるだけの 収入が得られるでしょう.したがって,広告をすることにより利益を得る利用者 だけが広告料を払えばよいわけです.

一方,たくさんの人々が友人からGNUを入手するのであれば,そのような会社は 成功しないでしょう.もしそうならば,広告はGNUを広める上で本当に必要なも のではないということです.自由市場を擁護する人が,自由市場にこの選択をま かせないはずはありません.

"私の会社は競争の一つの礎を得るために,所有権のあるオペレーティング・シ ステムが必要である"

GNUにより,オペレーティング・システム・ソフトウェアは,競争の世界から取 り除かれることになるでしょう.ここでは,あなたは競争者の一端となることも できないし,あなたの競争相手もそうなることはできません.あなたも競争相手 もここではお互いに利益を受けることにして,別の領域で競争してください.も しあなたのビジネスがオペレーティング・システムを売ることであればGNUは好 ましくないでしょうが,それはあなたにとって厳しい状況となるでしょう.もし あなたのビジネスが何か他のものであったら,GNUはオペレーティング・システ ムを売るというお金のかかるビジネスに,あなたが巻き込まれないように救って くれるでしょう.

私は,多くの製造業者や利用者からの提供物に支えられてGNUが発展し,同時に それらの人々のコストが軽減されていく姿を見たいと考えています.

"プログラマの創造性は報酬に値しないだろうか"

報酬に値するものがあるとしたらそれは社会への貢献でしょう.創造性は社会へ の貢献となり得ますが,それは社会がその成果を使用できる場合に限られます. もしプログラマが革新的なプログラムを作成したことにより報酬を得られるとし たら,そのプログラムの使用を制限した場合には,逆に同じ理由で罰せられるべ きでしょう.

"プログラマはその創造性に対して報酬を要求してはいけないのだろうか"

仕事に対してお金を要求すること,自分の収入をできる限り増やすことは何ら悪 いことではありません.ただし,それは破壊的な手段を使わない場合に限ります. しかしソフトウェアの領域で今日当たり前となったやり方は破壊的行為に基づい ています.

プログラムの使用を制限することによって,プログラムの利用者からお金をとる のは,その制限によりプログラムが使用される回数や方法が減じられてしまうと いう意味で,破壊的であるといえます.意図的に制限を課すと決定された場合に は,意図的な破壊という有害な結果をもたらすでしょう.

善良な市民はこのような破壊的な手段を用いないで裕福になっています.その理 由は簡単です.もしもすべての人が破壊的であったなら,我々は相互の破壊的な 行為により,さらに貧しくなってしまうからです.このことは,カントの道徳律, または黄金律として知られています.私は,個々人が情報を隠し持つようなこと は悪であると考えざるを得ませんし,その結果生じるような状況を好みません. さらに明確にいえば,ある人の創造性に対する報酬への欲望は,世の中一般から その創造性の全体または一部を取り去ることを正当化するものではないのです.

"プログラマは飢え死にしてしまわないだろうか"

誰も強制的にプログラマにさせられるということはないとお答えしておきましょ う.我々の大部分は道の上に立ってしかめ面をしているだけでは一銭も稼ぐこと はできません.しかし我々はその結果として,一生道の上に立ってしかめ面をし てそのまま餓死せよといいわたされることもありません.我々は何か他のことを するでしょう.

しかしこれは質問者の暗黙の仮定を受け入れてしまっている点,誤った答えです. つまりソフトウェアの所有権がなければ,プログラマは一銭たりとも稼げないと いう仮定です.おそらくそれはオール・オア・ナッシングという仮定でしょう.

プログラマが餓死しない本当の理由は,プログラム作業に対してお金が支払われ ることが可能だからです.ただし,今ほどは儲からないだけです.

コピーを制限することだけがソフトウェアにおけるビジネスの基礎ではありませ ん.それが最も多くのお金をもたらすので,最も共通した基礎になっているだけ です.もしも顧客の方からそれが禁止されたり,拒絶されたりした場合には,ソ フトウェア・ビジネスは,今のところほとんどなされていないような他の組織的 な方法を基盤として変遷していくでしょう.どんなビジネスでもそれを組織化す るのにはいく通りもの方法があるものです.

おそらく新しい基盤のもとではプログラミングは現在と同じほどは儲からないで しょう.しかしそれだからといって新しい変化に反対する理由にはなりません. セールスマンが今と同じだけの収入を今後常に保証してもらえないことが不公平 だとはいえません.プログラマも同様で,収入が減じてもそれはやはり不公平だ とはいえないでしょう.(実際には,プログラマはそれ以上の稼ぎがあるに違い ありません.)

"人々は自分の創造性がいかに使われるかをコントロールする権利を持たないの か"

自分のアイデアの使用をコントロールすることは,他の人々の生活をもコントロー ルすることにつながります.それは他の人々の生活をより困難なものにするため に使われることが多いのです.

(法律家のように)知的な所有権の問題を勉強した人は,知的所有権なるものは, 特別な目的のために,個別的な法的処置によって作り出されたものです.

たとえば特許システムは発明者が発明の内容を公表することを推し進めるために 設定されました.この目的は発明者を守るというよりも社会を守ることにありま す.当時の特許の有効期限は17年でしたが,これは現状の技術レベルが進歩する スピードに比べると短いものでした.特許は製造業者達の間だけの問題となって います.彼らにとってはライセンス協定を結ぶためのコストや手間は製品を作る ことに比べれば小さいわけで,特許の場合はそれほど害になってはいません.す なわち製造業者は,特許が使用されている製品を人々が使うことを妨げたりはし ていないのです.

著作権のアイデアは古代にはありませんでした.そのころは,著者達は,自分の ノンフィクションの作品の中に他の著書の作品中の文句をそのままコピーしまし た.これは非常に役立っており,多くの著者達の作品が部分的にしろ今にまで残 る唯一の手段を与えてくれています.著作権はその作品の著者の権利を明確にす るという目的のために作られました.それが当てはまる領域としては本がありま す.これは印刷によって経済的にコピーできるのでほとんど害を及ぼしませんし, 本を読む人々を妨げることもありません.

すべての知性の所有権は,社会によって認められたライセンスであるにすぎませ ん.なぜなら,良いにしろ悪いにしろ社会はそれを認めることにより全体として 利益を受けると考えられていたからです.しかしどんな状況においても次のよう な質問を出すことができるでしょう."そのようなライセンスを認めることでは たして我々は本当に暮らしよくなるだろうか.どんな種類の行動を人に許してい るのであろうか."

今日のプログラムの事情は100年前の本の場合とまったく異なっています.プロ グラムをコピーする最も簡単な方法は隣の人に順にコピーしていくことであると いう事実,プログラムにはソースコードとオブジェクトコードとが別々のものと してあるという事実,プログラムは読んだり楽しんだりするだけに使用されるも のではないという事実が混ぜ合わさって,著作権を推し進める人が物的にも精神 的にも社会全体に害を及ぼすという状況を作り出しているわけです.人は法律的 に可能であろうとなかろうと,そんなことをしてはならないのです.

"競争により物はよりよくなる"

競争のパラダイムは勝負です.勝者に報酬が与えられることから,誰もがより速 く走ろうと努力するのです.資本主義が正しくこのように作用すればそれはよい 仕事につながるでしょう.しかし資本主義の擁護者は,資本主義が常にこのよう に作用すると考える点においてまちがっています.もしランナーが,賞がなぜ提 供されるのかを忘れたり,方法にはかまわずにただ勝つことだけに執着したとし たら,別戦略,すなわち,たとえば他のランナーを攻撃したりする作戦をとるか もしれません.もしランナーがなぐり合いになったら,彼らは取り残されてしま うでしょう.

ソフトウェアの占有や秘密主義はなぐり合いをしているランナーと倫理的には同 じことなのです.悲しいことに,我々の唯一のレフリーでさえ,けんかに反対し ようとはしていないようです.彼はただ("10ヤード走るごとに一発なぐりなさ い"というような)規則を作っているだけです.本来彼はランナー達の中に分け 入って,けんかをしたことを罰して当然なはずなのです.

"誰もが金銭的な意欲を失ってプログラミングをやめてしまわないだろうか"

実際には多くの人が金銭的な意欲がまったくないのにプログラムを書いているで しょう.プログラミングが抵抗しがたい魅力を持っていると考える人達も何人か いますし,そういう人達こそプログラミングの最高の能力を持っています.プロ のミュージシャンにしても,音楽で生計を立てる望みを失ったからといって音楽 をやめることができない人は多いはずです.

実際この質問はよく提出されるものですが,現実に即しているとはいえません. プログラマへの支払いは少なくなるだけで,なくなることはありません.したがっ て,正しい質問は"金銭的魅力が減じても人はプログラムを書くか"となります. 私の経験からいえば答えは"Yes"です.

10年以上もの間,世界における最も優れた多くのプログラマが他で得られるのよ りもはるかに安い給料でAritificial Intelligence Labで働いてきました.彼ら はお金ではないたくさんの種類の報酬を得てきました.たとえば名声や感謝です. 創造は楽しくもあり,それ自体に報酬があるといえます.

その後,彼らの多くは,同じ興味深い仕事をより多くの給料をもらいながら実行 できる機会を与えられてここを去りました.

この事実は,人々が金持ちになるため以外にもプログラムを書くことを示してい ます.でも,もし同じことをしてより多くのお金を稼ぐチャンスが与えられたら, それを期待し要求もするでしょう.給料の低い企業は高いところに比べ競争では 分が悪いのですが,もし高い給料の企業の活動が禁じられたら,安い給料の会社 の旗色がよくなるでしょう.

"我々はプログラマを心から欲している.もし彼らが我々に対し,隣人を助ける ことをやめるように要求したら我々は従わざるを得ない"

あなたはこの種の要求にそれほど絶望的に従わなくてもいいのです.覚えておい てください.従わないことは百万ドルにつながりますが,これに従ったところで 1セントにもならないのです.

"プログラマは何とかして生計を立てねばならない"

短い目で見ればこれは正しいでしょう.しかしプログラマには,プログラムを使 用する権利を売らずに生計を立てるいろいろな方法が残されています.この方法 はプログラマやビジネスマンに最大のお金をもたらすという理由で現在一般にと られているのであって,生計を立てる唯一の方法だからではないのです.このよ うな方法を見つけたければすぐに見つかるでしょう.ここにその例をいくつか挙 げておきましょう.

製造業者が新しいコンピュータを導入するときには,オペレーティング・システ ムを新しいハードウェアにのせる作業に対して,お金が支払われます.

プログラミングに関しての教育,指導・援助,保守サービスを提供するためにも プログラマが必要です.

新しいアイデアを持った人々がプログラムを無料の商品として配布し,提供され た人から寄付を求めたり,指導・援助のサービスを売ったりすることもできるで しょう.私はすでにこのような仕事に成功した人々に出会っています.

関連したニーズのある利用者は利用者のグループを作り,会費を払わせることが できます.そのようなグループはプログラミング会社と契約を結び,グループの メンバーが使用したいプログラムを書いてもらうこともできるでしょう.

すべての種類の開発は以下に述べる"ソフトウェア税"を基金にして行なうこと ができます.

コンピュータを買った人は誰でも,ソフトウェア税として価格のx%を払わねばな らないものとする.政府はこの金をソフトウェア開発のためのNSF(米国科学財団; National Science Foundation)のような機関に与えるものとする.

しかし,もしコンピュータの購入者がソフトウェア開発に自分で寄付した場合に は,税に対するクレジットを得ることができる.("つけ"ができる.)その人は 自分の選択によってどんなプロジェクトに寄付してもよい.たいていの場合はそ のプロジェクトが生んだ結果を使いたいようなところに寄付するであろう.その 人は払わなければならないトータルの税額まで寄付によって"つけ"を行使する ことができる.

トータルの税率は税金を支払う側の投票(課されている税額に応じて重みづけを 行なって)によって決定される.

この結果:

長い目で見れば,プログラムを無料にすることは,欠乏の終った世界への第一歩 です.そこでは生計を立てるためにあくせく働かなくてはならない人はいなくな ります.人々は(週10時間の課せられた仕事,たとえば法律の制定,家族のカウ ンセリング,ロボットの修理,小惑星の踏査といった作業をこなしたあとは)プ ログラミングのような面白い活動に自由に熱中することができます.プログラミ ングによって生計を立てることはもはや必要ではありません.

我々は,社会全体の実質的生産のためになさねばならない作業の量を,これまで 大幅に減らしてきました.しかし,生産的な活動の裏には多くの非生産的な活動 が必要だったので,労働者の娯楽に変わったような仕事はわずかでした.この主 たる理由は,官僚主義と,みながどんぐりの背較べのような競争をしていること にあります.無料のソフトウェアは,ソフトウェア生産の分野におけるこれらの 無駄を大幅に減らすことでしょう.生産性の技術進歩が我々の仕事を軽減するよ うに,我々はこのソフトウェアの無料化を行なわねばならないのです.


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